金立権現社
「徐福上陸地」の石造の標識が立ち、金立神社跡の記念碑があります。
鳥居
所在地:佐賀県佐賀市諸富町大字寺井津東搦(旧名:浮盃新津)
諸富の金立権現社
徐福上陸地といわれる所は、筑後川(旧千歳川)の河口にあって、地名は諸富町大字寺井津東搦、旧名を浮盃新津といった。ここにあった金立権現社の跡地には、「徐福上陸地」の石造の標識が立ち、金立神社跡の記念碑があり、現在も徐福を偲んで祭りが行われている。この地区の金立権現社は、移転され現在公民館として使用されている。(現地案内板より)
徐福上陸地
徐福渡来
約2200年前、秦の始皇帝の命を受け不老不死の仙薬を求めて日本に渡来したと伝えられる。方士(徐福)
徐福一行がまず着いたのは、杵島の竜王崎(佐賀県白石町)でしたが、上陸に適さなかったので、海に大盃を浮かべ、これが流れ着いた筑後川下流の搦に上陸しました。この古事に由来する浮盃という地名が今も町内に残っています。一行は上陸したあと井戸を掘って手を洗ったので手洗いの井、その音が訛って、てらい(寺井)の地名になったといわれています。徐福たちはしばらく同所に滞在し、やがて仙薬を求めて北方にそびえる金立山に向かって旅だったと伝えられています。(現地案内板より)
徐福上陸伝説
上陸しようとしたとき、暴風雨となり、船が転覆しそうになったがアミ(小海老に似た甲殻類)が船の間にびっしりとつかまって転覆をまぬがれたため搦の人は、その後アミをとらなくなったという。徐福は生い茂るアシ(芦)の葉を手でかき払って上陸したので葉が片側だけについて片葉のアシになってしまい、その落ちた部分がエツになったと伝えられている。(現地案内板より)