諸富の徐福像
2012年3月、徐福東渡2222周年を記念して徐福出航成功地・中国慈渓市と上陸地・佐賀市との交流を深めるため、慈渓市からこの徐福石造を贈られました。
所在地:佐賀県佐賀市諸富町為重214-5
橋の駅ドロンパの向かって右手にあります。
徐福
贈呈者:慈渓市人民政府・慈渓市徐福研究会 2012年3月 佐賀市・佐賀県徐福会
徐福東渡2222周年を記念して徐福出航成功地・中国慈渓市と上陸地・佐賀市との交流を深めるため、佐賀市からは徐福が愛した「お辰さん」の陶板を慈渓市へ贈り、慈渓市からはこの徐福石造を贈られた。
徐福とは、紀元前ー210年、中国・秦始皇帝の命により、三千人の童男童女と百工(技術者)、五穀の種子を携え不老不死の仙薬を求めて、蓬莱の国へ渡って来た人である。(中国歴史学者・司馬遷「史記」)徐福は、求めていた仙薬を佐賀市金立山で発見したと云われている。(碑文より)
徐福と片葉の葦
古来、中国には、不老不死を願う神仙思想があり、遥るか、2200年前中国を統一した秦の始皇帝は、方士徐福に、五穀、百工、童男童女を遣り、東海の三神山に不老不死の仙薬を求めさせた。(漢「史記」司馬遷より)
徐福一行の船団は、有明海に着き、大朱杯(盃)を浮かべ流れ着いた所を上陸地と定め、この地を「浮盃」と名付けた。当時、この地一帯は、群生する葦原であり、徐福一行三千人が、葦をかきわけて上陸したので、片側の葉が落ちてしまい、「片葉の葦」となった。水辺に落ち片葉は、筑後川河口だけにしか棲まない「エツ」という魚になったという言い伝えもある。
平成元年2月 諸富町(現地案内板より)