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小城市のマンホールの蓋

清水の滝と鯉が描かれています。

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所在地:佐賀県小城市
清水の滝と2匹の鯉が描かれています。鯉は躍動感がある生き生きとした鯉です。

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清水の滝

全国名水百選の一つ清水川の上流にある滝で、高さ75メートル、幅13メートルの清流が垂直に流れ落ちます。別名「珠簾(たますだれ)の滝」とも呼ばれ、滝のそばには名水にさらした鯉料理店が軒を連ねています。

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滝見屋専用放流場

鯉料理の老舗滝見屋の専用放流場です。

小城3

清水の鯉料理が美味しいと評判がよいのは日本名水百選に選ばれた、清水の滝のきれいな水で、長期間留水場でさらし鯉特有の臭いを取り、たんぱくな味にして鯉の嫌いな方でも、一度食べると、必ず二度、三度とお越しになります。昔ながらの素朴な味の鯉の洗い、鯉こくをどうぞごゆっくりご賞味下さい。
滝見屋 店主(現地案内板より)

小城4

清水の滝の下には、鯉料理のお店が軒を連ねています。

清水の滝5

清水の生鯉業(鯉料理)の由来

 名水百選清水川の源流、滝見川、潮干川、尾敷野川が生鯉に適した豊富な水流に恵まれ、明治27年、深川忠左ェ門氏(深松屋創始者にして、現在の滝見屋の長老、直氏の祖父)が参詣者の宿泊所として、便宜を計る為、旅籠を開設するにあたり夕食の料理等について、當山第21世圓海住職(法印)に相談された処、佐嘉藩主第10代鍋島直正(閑叟)公の直命をうけて、馬術指南役八代文辰(圓海法印の実父)居士が元治元年、殖産興業として佐嘉藩に広める為、長野県信濃に派遣され、養蚕生産技術を習得する期間、夕膳に、鯉の洗い、鯉濃汁(こいこく)を食した話を青年期(僧侶になる前)に聞かされたことを想い出し、忠左ェ門氏に生鯉の料理方法を提示し助言したのがはじまりである。
 明治36年12月、唐津線(佐賀~唐津間)が開通するや、翌年の正月より清水観音参詣人が増加し、宿泊が困難の所、深松屋、滝見屋、清水屋等が旅籠として開業し、試行錯誤を重ね生鯉の薄切りを清流水で強く叩き交ぜ、冷やしながら、大きな皿に牡丹華のように盛り付けたのが生鯉の洗いの原型である。清水の生鯉は川魚独特の臭みがなく、食感の醍醐味と自家製の味噌で鯉濃汁と合わせて、夕膳に添えたのが美味いと口こみで広まっていった。
 然し、終戦後15年ほど衰退の日々が続いていたが、東京オリンピックの成功と、産業政策の進展に伴い、昭和45年頃を境に近海の工業地帯の排水汚染公害が多発し、川魚を求め、筑後、久留米、柳川、大川の参詣者が、土用の丑の日参りを終えて生鯉料理を食べたのが評判となり、生鯉業を営む家が十数件に及び、生鯉への官舎と放生を念じ、清水鯉供養塔を建立して、三十周年を迎え記念として、筑紫野市の養鯉業社、有限会社広松養魚場の厚意により、由来を記する。 合掌
(生鯉の効用は万能薬なり)清水観音山主二十三世 圓宰代
(参考資料)肥前武道物語(倉永馬術より)・(元)佐賀大学教授黒木俊弘著・當山第22世圓純大和尚より口傳
平成26年12月11日 清水鯉料理観光振興会(現地案内板より)

清水の滝6


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