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北面天満宮恵比須

六座町にある北面天満宮の境内に3体の恵比須さんが鎮座されていました。

北面天満宮恵比須3

鎮座地:佐賀県佐賀市六座町1-14
造られた年代もかなり古いのではないでしょうか。苔が付き、風化が進んでいます。

北面天満宮恵比須4

鯛恵比須

像高:105cm・半跏
光背を背負った半肉彫り像です。高くて立派な光背です。
胸と烏帽子に宝珠があります。
右手に竿を持ち、左手で鯛を抱えています。

北面天満宮恵比須5

烏帽子が高く、気品がある恵比須さんです。優しく微笑んでいます。

北面天満宮恵比須1

鯛恵比須

像高:43cm・半跏
光背を背負った半肉彫り像です。
右手に竿を持ち、左手で鯛を抱えています。
烏帽子に宝珠が一つあります。
優しい笑顔の恵比須さんです。
かなり風化が進んでいます。

北面天満宮恵比須2

童顔で可愛い恵比須さんです。

北面天満宮恵比須6

鯛恵比須

像高:76cm・半跏
光背を背負った半肉彫り像です。
右手に竿を持ち、左手で鯛を抱えています。
苔がびっしりと付いています。

北面天満宮恵比須7

北面天満宮と六座町の由来

北面天満宮は、むかし、鍋島町蛎久が肥前の国府であった頃、市場に鎮座の一国一社の天満宮を佐賀城下の町造りの際、鍋島直茂が蛎久の市場と共に移してしまった。当時蛎久で神社の諸事を司っていた天徳寺住持、竹庵西堂は藩主の命を受け豪族右近刑部その他有力な人々とともに天正3年11月25日(1575年)神霊をこの地に移して祀り現在に至っている。以来天満宮は文教の守護神として又、火災除けの神として住民の崇拝厚くその実りとして六座町には今日まで大火災はないと言われている。
現在の神殿は貞亨3年(1686年)製作され元禄15年(1702年)改築されたものである。又、所蔵の太鼓橋は慶長11年(1686年)製作され石の鳥居は明暦4年(1658年)の建立となっている。
六座町の名は蛎久から天満宮とともに市場が移されたとき穀物座、木工座、金銀座、縫工座、煙硝座、鉄砲座の六つの座ができたことから由来している。六座町は佐賀城下で一番古い歴史を持った町で、市場発祥の地として長崎街道佐賀城下の繁華街であった。(現地案内板より)


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