雲海山 岩蔵寺
延暦22年(803年)桓武天皇の勅命により創建された寺院です。
天台宗 雲海山 岩蔵寺 (うんかいざん がんぞうじ)
所在地:佐賀県小城市小城町岩蔵2349
延暦22年(803年)桓武天皇の勅命により、比叡山西谷の聖命上人が下向して創設したと伝えられています。その後、建久3年(1192年)に後鳥羽天皇の勅命で、葉上上人(明庵栄西)により再興されたといわれます。当時の岩蔵寺は千葉氏の保護を受け、大きな勢力を誇っていました。
戦国時代の兵火で荒廃した後、天正18年(1590)鍋島直茂の手で再興され、藩政時代には小城藩の祈祷所となりました。
雲海山岩蔵寺には、染付山水文三脚香炉などの貴重な文化財が残されていたのですが、残念ながら昭和59年の火災で焼失してしまいました。染付山水文三脚香炉は貴重な文化財でした。(大きさ:口径36.9~36.25cm・高台径19.1cm・器高6.4~5.35cm・高台高0.7~0.8cm)
雲海山岩蔵寺ご由緒
岩蔵寺は由緒記によると、延暦22年(803年)、桓武天皇の勅命により比叡山西谷の聖命上人が下向して創設したと伝える。宗派は天台宗である。岩蔵寺の創建によってこれまでこの地一帯を高隈の里と称していたが寺名に因んで岩蔵と改称したという。
その後一時衰退したが、建久3年(1192年)に後鳥羽天皇の勅命により葉上僧正(栄西)が延暦寺より下向して岩蔵寺を再興したという。この時に清水山見瀧寺などと共に、比叡山の横川、東塔に岩蔵寺、西塔に花園、横川に清水山を置いたとする。花園の位置がはっきりしない。岩蔵寺に三寺として浄土寺、東楽寺、妙法寺があった。浄土寺においては妙法経会が行われた。寺僧が法会を行い、多久の桐野山の衆徒が音楽を担当したという。
この妙法経会は大変盛会で北条時政、千葉胤政も参会している。また、曽我兄弟の郎党である鬼玉団三郎も虎御前(大磯の虎)とともに参会して曽我兄弟(祐成、時政)の菩提を弔ったという。虎御前が祐成の菩提を弔っているとき祐成、時政の霊があらわれて座したという「殿の腰掛石」の伝説もある。
戦国時代の動乱期に岩蔵寺は兵火で焼け荒廃したが、鍋島直茂によって天正18年(1590年)再興され、江戸時代には小城藩の祈願所となっている。また、小城藩士の集会は必ずこの寺で行われたという。
平成4年3月 小城町教育委員会(現地案内板より)
本堂
本堂屋根の懸魚
杏葉紋が取り付けられています。
池
色とりどりのツツジが満開でした。