岩蔵天山神社
大宝2年(702年)国宜によって建立された神社です。
所在地:小城郡小城町大字松尾岩蔵2348番地
御祭神:多紀都毘賣命・市寸島毘賣命・多紀理毘賣命
小城の天山神社は岩蔵天山神社と晴気天山神社の二つの下宮と、霊峰天山の八合目にある、天山神社上宮の三つの天山神社があります。岩蔵天山神社のすぐ南にある平安初期創建の雲海山岩蔵寺との神仏習合が、古くから行われていたと考えられています。
天山神社由緒と沿革
由緒と沿革(1991年記)
当社は、文武天皇大宝2年(702年)国宜によって建立せるもので、文武、一條、二條天皇勅願所であって天正18年(1590年)佐賀藩主鍋島直茂社殿を再建、寛永15年社頭破壊につき、勝茂、直澄、其他、多能萓葺を瓦葺となし、遷宮の式典を行う。
一の鳥居は、寛文5年直能、二の鳥居は、慶長17年直茂、勝茂、元茂の寄進である。
天正年中から、小城郡七郷納所より毎年9月15日に二注連に分かち、大行司、小行司を立て、隔年に方注連づつ勤めたが、寛永15年島原陣の砌鍋島家から国家安全の誓願にて両注連元一同石木刈から行列を立て、参詣す。
維新後其の事は止んだ。明治6年郷社に列し、明治40年2月神饌幣帛料供進定神社となる。
5月1日春季大祭(御田祭)・10月15日秋季大祭(現在は15日に近い日曜日に行う場合もある。)(現地案内板より)
鳥居
岩蔵天山神社本殿
岩蔵天山神社の本殿は、木鼻や龍に鮮やかな色付けが施されています。天井には天井絵が描かれています。
岩蔵天山神社では毎年秋には、天衝舞(てんつくまい)が神前に奉納されます。天下泰平・五穀豊穣を祈る神事で、子どもたちの愛くるしい踊りとともに、大きな半月状のテンツ牛をかぶった舞人が、勇壮な舞いを奉納します。これは、島原の乱の折りに小城藩が戦勝祈願をしたことに始まるとされる民俗芸能で、巨大な三日月形の被りものを頭に頂き舞う姿は、まさに勇壮そのものです。
杏葉紋が彫られています。
饕餮
カラフルに着色された饕餮(とうてつ)がいます。
拝殿
天井絵
木鼻の龍阿形
全体を白く塗り、口や目を赤で塗り、牙と眼玉を黄色で塗っています。
木鼻の龍吽形
狛犬阿形
狛犬吽形
小城の中で最も古い寺社とされる天山神社(岩蔵天山神社)と岩蔵寺のある岩蔵には、祇園がの本流が流れ、夏には蛍が数多く飛びます。岩蔵(いわくら)は、岩座、つまり神の鎮座する場所を意味しています。小城では昔からこの岩蔵に神が存在するとされてきました。