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伊東元朴旧宅

長崎でシーボルトに学んだ幕末の医者・蘭学者伊東玄朴の旧宅です。玄朴は種痘を導入するなど、近代医学の父として知られています。

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伊東玄朴旧宅 (伊東玄朴生家)
所在地:佐賀県神埼市神埼町的1675
開館日:毎週火・木・土・日・祭日(年末年始を除く)
開館時間:9:00~17:00
入館料:無料
文政4年(1821年)に建築された茅葺き屋根の建物です。仁比山神社入口から九年庵までの参道を上って行くと、右手側に茅葺屋根の建物が見えてきます。
長崎でシーボルトに学んだ幕末の医者・蘭学者伊東玄朴の旧宅です。玄朴は種痘を導入するなど、近代医学の父として知られています。この旧宅は玄朴が20歳のときに建てられたものです。

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佐賀県史跡 伊東玄朴旧宅

伊東玄朴は寛政12年(1800年)農家の長男としてここに生まれました。11歳のとき不動院玄透法印(げんとうほういん)について漢学を学び、17歳で自宅にて漢方医を開きますが、新しい医術へのあこがれ長崎の鳴滝塾(なるたきじゅく)でドイツ人医師シーボルトに師事し、学識を飛躍的に向上させました。25歳で江戸に出て、当時不治の病と言われたジフテリアを治したことから蘭方医として名声を博しました。
天保4年(1833年)蘭学塾「象先堂(しょうせんどう)」を開設し、人材の育成にも努めました。同14年佐賀藩主鍋島直正の御匙医(おさじい)となり「牛痘種法編(ぎゅうとうしゅほうへん)」を翻訳する一方、牛痘種を強く献言しました。直正はその意見を取り入れ藩医楢林宗建を通じて蘭医モーニッケより牛痘苗を取り寄せました。
嘉永2年(1849年)藩主の長男淳一郎に、同年江戸屋敷で長女姫(みつひめ)に接種しいずれも成功しています。これがわが国の種痘の最初と言われています。後の徳川13代将軍家定の奥御医師(おくおいし)となります。文久元年(1861年)西洋医学所(現在の東京大学医学部)の創設をしました。
明治4年病気のため70歳で亡くなりますが、医学に捧げた功績は大きく、我が国における近代西洋医学の父と仰がれています。  神埼町教育委員会 (現地案内板より)

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屋内

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鳴滝塾

シーボルトは、出島の商館医として例外的に出島の外で診察し、教育の場を持つことを許された。長崎出島に別荘を作ることを許可され、鳴滝塾を開設している。塾には、伊東玄朴・楢林宗建・高野長英・土生玄碩・岡研介各地より58名の塾生が学んでいる。シーボルトの講義は、医学書から学ぶものではなく、診断治療の実際を目の当たりにして学ぶもので、西洋医学の基本的原理が教えられた。また、塾生にテーマを与えそれについてオランダ語でレポートを書かせることも行い、日本の情報収集の一つの手段としていた。(現地案内板より)

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引手金具

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伊東玄朴の像

伊東玄朴旧宅内にあります。

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