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櫛田宮

櫛田宮(縣社櫛田之宮)、おくしださんと呼ばれ親しまれている櫛稲田姫命・須佐之男命・日本武命を祭神とする古社です。

櫛田宮1

鎮座地:佐賀県神埼市神埼町神埼419番地1
御祭神:櫛田三柱大神・櫛稲田姫命
正面御座:櫛田大明神・須佐之男命・東御座:高志大明神・日本武命・西御座:白角折大明神
櫛田宮は旧長崎街道神埼宿のほぼ中央に所在し、日本全国実測者伊能忠敬も、櫛田宮の鳥居に起点をおきました。現在道路元標があります。また郡の中心的存在でもありました。櫛田宮は、本宮が3939坪、下宮が254坪、合計13,809平方メートルもある広大な敷地です。

櫛田宮2

櫛田宮は、「神埼(かんざき)」発祥の地といわれています。肥前風土記によると「景行天皇が今から1920余年前に櫛田宮を創祀されて以来、神の幸をうける平和郷となり、神幸(かむさき)郡と名付けられました。これが後に神埼となりました。」
南に面して参道、石造太鼓橋があり、境内には佐賀県重要文化財指定の肥前鳥居(二の鳥居)、同じく神幸祭絵馬をはじめ、能舞台、随臣門、琴の楠、琴の池、中の島、庚申石祠、オランダ大砲、神埼素麺碑、玉垣、弁財天(厳島神社)など見所満載です。

櫛田宮32

櫛田宮一之鳥居

一の鳥居は石造鳥居です。額の文字「櫛山櫛田宮」は順徳天皇の御宸筆と云われています。写真手前の道路は旧長崎街道です。一の鳥居は旧長崎街道沿いにあり、二の鳥居は本社参道にあります。走行中の車窓から撮ったので変な写真になりました。ごめんなさい。

櫛田宮3

櫛田宮二之鳥居

櫛田宮の二の鳥居は、肥前鳥居です。櫛田宮本社参道の中頃にあります。慶長7年(1602年)に建てられたもので、櫛田宮の鳥居では最も古いものです。佐賀県指定重要文化財にもなっています。二の鳥居は、慶長7年(1602年)の造立銘があります。佐賀県指定重要文化財の石造鳥居です。高さ3.35m、笠木の長さ4.45mの存在感がある立派な鳥居です。石造りで、台座の上に三段継ぎでできた柱がどっしりと建っています。上に向かう程少しずつ細くなっています。肥前鳥居は、肥前地方特有の鳥居で、太くどっしりとした柱などの特徴があります。

櫛田宮4

櫛田宮略記

御祭神:須佐之男命・櫛稲田姫命・日本武尊
大昔当地方に荒神があって人を害したが、景行天皇が櫛田宮を創建されてから人民は幸福になったので神幸郡と名付けた。今から千九百年前のことである。鎌倉時代弘安4年蒙古襲来の時、本宮の神剣を博多櫛田宮に奉遷して異賊退散を祈り、霊験あらたかなものがあったので厄除け開運の神と崇敬されるようになった。櫛田大明神縁起に、万民を利益しましますこと凡智の測量する所にあらずと記してある。朝廷武将歴代藩主をはじめ一般の敬信篤い九州大社と称せられ神領も多かった。
境内にオロチ退治の酒鬢、琴の楠、琴の池、順徳天皇勅額石鳥居櫛森櫛丸稲荷神社・祇園社・弁財天社・庚申石祠・忠魂碑・昭和天皇碑・そうめん碑等がある。隔年の春祭はみゆきと称し御神幸があって賑わう。
尾崎太神楽・県重要文化財、石造肥前鳥居・県重要文化財、御神幸絵馬・県重要文化財、薬師如来像・県重要文化財(二丁目辻にあり)、締元行列・町重要文化財、櫛田宮文書・町重要文化財 (現地案内板より)

櫛田宮5

石造太鼓橋

佐賀藩主鍋島治茂公の頃、琴の楠の枝が折れ石造の太鼓橋が損壊し、藩より修復の命が庄屋に出されたが、なかなか建設できず、板橋のままであるという記録があるそうです。現在の石造太鼓橋が出来たのはその後だと考えられますが、年代は不明です。

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櫛田宮の神門(随臣門)

神門両側に随臣像が置かれています。今はありませんが、以前は扉があったと推測される跡もあります。櫛田宮は肥前国有数の古社です。平安末期の大治元年(1126年)のものをはじめ数十通現存する貴重古文書があります。郡内に櫛田、高志、白角折の三神を祭る櫛田宮を中心におき、これに多くの末社を配し、当時の郡内末社は189社あったと伝えられています。
社伝によれば、「第12代景行天皇が当地方を巡行された折、当時この地に不幸が続いて人民は苦しんでいたが、神を祭りなごめたら、その後は災厄もなくなった。神の幸をうける地というところから「神幸(かむさき)の里」と名付けられ、今は「神埼」と書いている。」と伝えられています。神社の創建はこの時であり、神社から北東方向約2kmに位置する吉野ヶ里遺跡の隆盛な頃と同時代の弥生時代後期にあたります。

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櫛田宮8

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神門の随臣像

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随臣像

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本殿

櫛田宮10

本殿

博多の櫛田宮も有名ですが、「博多山笠記録」には、神埼が本家で博多は分家の説を紹介しています。往時の神埼は現在の神埼市・吉野ヶ里町のほぼ全部と上峰町・みやき町の一部が荘園の時代が長く続きました。しかも皇室領のため「神埼御庄」と尊び称され、正応5年(1292年)の頃には約3000町歩の大荘園だったそうです。当時の中国(宋)との密貿易も盛んに行われ、有明海から神埼の荘園にも迎え入れました。この荘園を実質治め巨利を独占したのが平正盛・平忠盛であり、その子の平清盛が平家全盛の時代を迎える財政的な基を神埼の地で築いたと言われています。その貿易品や年貢米の積み出し港である博多に分社をつくり、櫛田大明神の御加護を祈ったという説が通説となっているそうです。福岡市が市制90周年として発行した『福岡の歴史』(昭和54年10月発行)にも詳しく記されています。

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神紋

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櫛田宮の狛犬 阿形

櫛田宮は、農業神、厄除神として崇拝されています。境内には石造肥前鳥居、オランダ大砲などがあります。奉納される大神楽、締元行列は大勢の見物客でにぎわいます。

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櫛田宮の狛犬 吽形

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狛犬阿形

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狛犬吽形

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神牛

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神馬

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境内見取図

櫛田宮23

弁財天 厳島神社

御祭神:市杵島姫命ほか
琴の池の中ノ島に古くより鎮座。島の形は楽器の琵琶の形を現わす。
芸能音楽・商売繁盛に御利益があると信仰が篤い。(現地案内板より)

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琴の楠

櫛田宮の神木で、根回り9.1m、樹高16.6m、枝張り21m、地上2mのところで二方に分岐しているが、幹は空洞になっている。景行天皇が琴を埋められたら芽が出て楠になった。清浄なる人が息をとめて七回半巡れば琴の音が聞こえると伝えられている。推定樹齢700年(現地案内板より)

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琴の楠の幹

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琴の楠

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琴の楠と二之鳥居

参道横にある琴の楠(御神木)と呼ばれる大楠は、景行天皇が地中に埋めたことから芽が生えて楠となり「琴の楠」と称したそうです。琴の楠の回りを息を止めて7回半回れば琴の音が聞こえ、御利益を蒙るという伝説があります。琴の楠は、平成3年の台風で半分に裂け、今は薄い樹皮のみでやっと立っています。琴の楠の幹の周りは石柱で囲まれていました。琴を埋めたら、そこから芽が出て楠になったというのが、面白い伝説ですね。琴からは想像しがたいようなダイナミックな楠に成長しています。

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櫛田宮29

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