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吉野ヶ里歴史公園

吉野ヶ里遺跡を中心とした公園です。吉野ヶ里遺跡は、佐賀県神埼郡の旧神埼町・旧三田川町・旧東脊振村の3つの町村にまたがった日本最大の遺跡です。

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所在地:佐賀県神埼市吉野ヶ里町田手1843
吉野ヶ里遺跡は、日本最大級の環濠集落遺跡です。
佐賀県神埼郡の旧神埼(かんざき)町・旧三田川(みたがわ)町・旧東脊振(ひがしせふり)村の3つの町村にまたがった日本最大の遺跡です。弥生時代における「クニ」の中心的な集落の全貌や、弥生時代600年間の移り変わりを知ることができ、日本の古代の歴史を解き明かす上で極めて貴重な資料や情報が集まっています。

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平成4年に国営吉野ヶ里歴史公園として整備することが閣議決定され、さらに国営公園区域の周辺に佐賀県の公園区域を設け、国と県が一体となった歴史公園として、平成13年4月からその一部が開園しました。平成 21年4月1日現在では面積約73.7ha(国営公園約38.3ha 、県立公園約35.4ha)が開園しています。現在も整備進行中でした。
また、魏志倭人伝に書かれている邪馬台国の情景に似ていることから、ここが卑弥呼がいた邪馬台国ではという説もあり、歴史のロマンを感じます。

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歴史公園センターは、JR吉野ヶ里公園駅・国道385号線側からの入口です。歴史公園センターは(一番上の写真の建物)、公園や吉野ヶ里遺跡の情報案内があります。また、レストラン、多目的ホール、休憩所などもあります。西口サービスセンターは、JR神埼駅側からの入口です。ディスクゴルフや野外炊事コーナー、グラウンド・ゴルフの受付、道具の貸し出しを行っています。グラウンド・ゴルフのスタート地点は西口の目の前です。その他、約6ヘクタールの芝生広場などもあります。
駐車場は、東口駐車場と西口駐車場があります。東口駐車場は、大型車が80台、小型車が540台、二輪車が30台停められる駐車場です。遺跡エリアへは東口駐車場が便利です。西口駐車場は、大型車が20台、小型車が310台、二輪車が10台停められます。

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ひみか

吉野ヶ里町のゆるキャラ ひみかです。
出身地:佐賀県・年齢:16歳・性別:男・身長:163cm・体重:163kg
ヘアスタイル:みずら(聖徳太子と同じ)・好物:イノシシ肉と赤米、木の実
特技:狩り。弓矢・矛は大の得意!・悩み:頭が重い
確かに、頭は重そうですね。体重163kgの内、100kgは頭の様な気がします。(あくまでも個人的観測です)それにしても163cmの163kgとは吃驚しました。しかも男の子だったのです。
ひみかの名前は公募で決めたそうです。(私は卑弥呼からとったのかと思っていましたが予想が外れました。)吉野ヶ里遺跡は、東背振村と三田川町と神埼町の三つの町村に囲まれています。そこで、東背振村の「ひ」と三田川町の「み」、神埼町の「か」と、各々の頭文字を取って、「ひみか」にしたそうです。日によっては、着ぐるみのひみかに会うことができるそうです。残念ながら私達は、会うことができませんでした。

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吉野ヶ里遺跡は、下記のようなエリアで構成されています。環濠入口:逆茂木などがある守りの地域です。
北内郭:王たちの住まいであった南内郭、神への祈りを捧げ、最高司祭者がいて、クニの重要なことを決めていたところです。
北墳丘墓:吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓です。
甕棺墓列:北部九州に特有の棺である甕棺(かめかん)があります。
中のムラ:吉野ヶ里の最も重要な場所である北内郭で行われる、祭りや儀式、政事に使ういろいろなものを、神に仕える司祭者たちが作っていた場所と考えられています。
倉と市:海外との交易品や日本各地のクニグニの特産品などが集まり、盛大な市が開かれたり、市で取引される品々が保管されていたと考えられる倉庫群などが集まっている地域です。
南のムラ:弥生時代の吉野ヶ里集落の一般の人々が住んでいた地域と考えられています。

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逆茂木

吉野ヶ里の逆茂木(さかもぎ)(乱杭・らんぐい)
吉野ヶ里歴史公園内 南内郭
米作りが盛んになるにつれて、水や土地を奪い合う争いが起こるようになりました。人々は自分たちの集落を守るため、集落の入口など特に重要な区域には、とがった木の枝や幹でバリケードを築き、より厳重に守っていました。これを逆茂木(さかもぎ)と呼んでいます。

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乱杭

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南内郭の入口

門の上に鳥が2羽とまっているような可愛い飾りがありました。吉野ヶ里歴史公園内の屋根や門の上に、数ヵ所、木で作られた鳥がとまっていました。これは、鳥形といい、弥生時代鳥は稲などの穀物の霊を運んできたり、悪霊から守ってくれるシンボル(神の使い)とされていたと考えられることから、作られているそうです。

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南内郭入口東側門

こちらの門にも鳥形が取り付けられています。

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南の守り

南内郭の南側の守りは、兵士が待機します。また、中に入れない人々が待っています。門には正門と脇門があり、正門は監視を厳重にするために櫓門になっています。南内郭には、南の正門、北の脇門があります。正門の両脇には、物見櫓がそびえています。

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南内郭の物見櫓

南内郭は鍵型に折れ曲がった入口があり、入ってすぐ右手には物見櫓があります。南内郭には4棟の大きな高床建物があります。これらは環壕の張り出した部分に対応するように建てられており、兵士が南内郭への侵入者を厳重に見張っていたと考えられています。

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吉野ヶ里の2つの中心区域のうち、南側にあるものを南内郭と呼んでいます。壕と柵で厳重に囲まれ、中には物見櫓も設けられています。こうした特別の空間であることから吉野ヶ里の指導者たちの生活の場であると考えられています。周囲を環壕と城柵で囲まれ、敵を見張ると同時に吉野ヶ里集落の権威を示すシンボル的役割を持っていた物見櫓と考えられる建物跡が見つかっています。人々が住む竪穴住居が中心となっています。当時としては極めて貴重な、一部の有力者しか持つことができなかったと言われている鉄製品が数多く見つかっています。南内郭には、櫓門、支配者層の住まい、物見櫓、王の住まい、兵士の詰所、煮炊屋、集会の館などが復元されています。

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物見櫓

南内郭には4棟の物見櫓がありますが、北側にあるこの物見櫓は他のものに比べ大きく、中央の柱を一方に寄せて片方を広く作っています。また、北方の墳丘墓、北内郭などの重要な施設と向い合っていることから、ほかの物見櫓とは違った特別な意味を持つ建物であった可能性があります。物見櫓の上には四方に盾が置かれ、兵士が周囲を見張っています。

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北物見櫓

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銅鍾

北内郭に鐘が下がっていました。この鐘を鳴らし、人々を集めたり、時を知らせたりしていたのでしょうか。

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銅鍾

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広場

広場では、儀礼や謁見がおこなわれることがあります。

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中のムラ

吉野ヶ里の最も重要な場所である北内郭で行われる祭りや儀式、政事に使ういろいろなものを神に仕える司祭者たちが作っていた場所と考えられています。神に捧げるお酒を造ったり、蚕を飼って絹糸を紡ぎ、絹の織物を作ったり、さらには祭りに使う道具なども作られていたと考えられています。

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斎堂

東祭殿と主祭殿の間にある高床の建物です。主祭殿の祀りの前に身を清めたり、祀りの道具を保管する場所として使われていたと考えられています。

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高床住居(高架地板住宅)

高床住居(高架地板住宅)は神聖な区域の中にあり、高床倉庫とは違ってほぼ正方形に近い形をしていることから、吉野ヶ里の最高司祭者の住まいだったと考えられています。最高司祭者は一般の人々の前にはほとんど姿を現さなかったと考えられており、まさしくプライベートな空間だったと思われます。主祭殿の近くに位置していることから、倉庫ではなく、普段は人前に姿を見せなかったと言われる最高司祭者の住まいだったと考えられています。神聖な人が住む場所であることから、1階部分についても網代で囲われ、建物全体が閉鎖的な空間になっていたようです。

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北内郭の入口は、真っ直ぐ入ってこられないように鍵形に折れ曲がった構造をしています。こうした造りは古代中国の城郭都市に多く見られ、吉野ヶ里が大きな影響を受けていることを示しています。北内郭は中をのぞくことができないよう、隙間のない板壁で復元されています。北内郭が極めて重要な場所であるとの想定に基づいて復元されました。

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櫓門(望楼門)

櫓の上には四方に盾がが置かれ、兵士が出入する人たちを見張っていました。

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見学用の階段については昇降の安全性を考えて設置したもので、弥生時代のものとは位置や形状が異なります。

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北内郭

北内郭はまつりごとの場所です。3階建ての主祭殿、屋根倉、高床住居、高床倉庫、東祭殿、斎堂、物見櫓があります。北内郭は、周囲を板壁で囲んでいます。北内郭が極めて重要な場所であるとの想定から、中をのぞくことができないよう、隙間のない板壁で復元されています。最も重要な区域であることを示すように、環壕も2重に設けられ、厳しく守っていたことが分かります。北内郭は、吉野ヶ里集落だけでなく、吉野ヶ里を中心とするクニ全体にとって、最も重要な場所であったと考えられています。田植えや稲刈りの日取りを決めたり、季節ごとのお祭りの日を決めたり、また大きな「市」を開く日取りを決めるなど、吉野ヶ里を中心とするクニ全体の重要な物事についての儀礼的な話し合いと祖先への祀りが行われていた場所と考えられています。また当時は、重要な物事が話し合いでは決まらない時には、最高司祭者(祖先・神の声を聞くことができる特殊な能力を持った人)に祖先の声を聞いてもらい、その声に従って決定していったと考えられています。(現地案内板より)

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北内郭

環壕集落の最も北にあるこの地域は、吉野ヶ里のまつりごとを司る最重要区域です。吉野ヶ里の「国」の、まつりごと(祭りや政治)の中心であったと考えられています。北に歴代の王の墓があり、その南にまつりごとを行う北内郭、北内郭の西側に特別な倉庫群と北内郭の行事を補佐する人達が住む、中のムラがあります。

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奥に見えるのが南内郭です。

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吉野ヶ里歴史公園の電気自動車

乗車料金:無料
吉野ヶ里歴史公園は、73.7ヘクタールもあります。大変広いので、園内を約30分間隔で環壕入口前と北墳丘墓を結んで、電気自動車が運行しています。私達は行きは全部歩いて回ったのですが、帰りはへとへとになり、北墳丘墓から環濠入口前まで電気自動車に乗せて頂きました。足が痛くなっていたので、大変助かりました。

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電気自動車のご案内

ご利用案内(ご不明な点は、園内のスタッフにお尋ねください。)
料金:無料
1.ご利用は、身体の不自由な方、高齢者の方を優先いたします。
2.定員は11名です。
3.乗降場所は、環濠入口、北墳丘墓入口です。それ以外の場所での途中下車はできません。(詳しくは現地案内板に地図が掲載されています。)
なお、発着所以外の乗降所でも満車時にはご乗車できません。
4.車椅子は車内に持ち込めません。
5.安全のため、次の場合は運航中止、ルート変更を行う場合があります。
・公園内混雑のとき
・緊急事態が発生したとき、または発生が予測されるとき
・公園内工事により危険なとき
・その他、運行にあたって危険と判断したとき
6.ご利用にあたっては係員の指示に従ってください。(現地案内板より)

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つくし

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