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多久神社

旧梶峰社です。近世多久市の宗廟です。弘化元年(1844年)に、11代多久茂族が創建しました。

多久神社1

所在地:佐賀県多久市多久町1970
御祭神:竜造寺山城守家兼・龍造寺和泉守長野部・多久長門守安順
合祀:多久長門守茂族・多久伊豆守茂文・西南の役以後戦没者155柱

多久神社2

多久神社

元亀元年(1570年)龍造寺長信は梶峯城に入城。嫡子安順から多久姓に改めて、その子孫は明治初年まで多久を領有しました。弘化元年(1844年)11代領主茂族は、長信の居住した通称天理様御屋敷と呼ばれるこの地に、先祖への報恩と子孫の繁栄を願い、始祖龍造寺家兼と長信、多久安順を祭神として、梶峯神社を創建し、宗廟としました。明治18年に茂族、大正5年に四代茂文を合祀。昭和26年、西南の役以後の戦歿者を加えて、多久神社と改めました。
 拝殿の絵馬のうち「松浦捕鯨図」は生業記録として貴重です。境内には、三条実美の表題、鶴田斗南の撰文、中村梧竹の筆による「従五位多久茂族碑」や、儒者で教育者の草場船山の詩文を刻んだ手水鉢があります。広場南側には、明治刑法の草案者鶴田斗南の碑や、佐野常民表題による多久安典の碑などもあります。(現地案内板より)

多久神社3

両部鳥居

この鳥居は、両部鳥居と呼ばれるもので、柱の前後に控柱を建てて貫により結合し、一層安定を増した形式であります。控柱の数に因んで四脚鳥居とも言われます。この種のものは、構造上の完全を狙っている為か、柱上には台輪を付け、笠木・貫等の水平材には総て更に屋根、或いは笠木を付けて銅板等で覆い、総体的に丹(赤)、或いは漆塗りを施すなど、最高度の施設をしたのが多い。(現地案内板より)

多久神社4

多久神社5

拝殿

多久神社6

多久神社8

本殿

多久神社9

狛犬阿形

多久神社10

狛犬吽形

多久神社11

狛犬阿形

多久神社12

狛犬吽形

多久神社13

手水鉢

多久神社14

多久神社15

草場船山詩刻手水鉢

この手水鉢は、自然石を利用し水盤面を木の葉型に穿ってあり、安政4年(1857年)第2代邑主多久美作守茂辰の生誕250年にその威徳を偲んで、小城郡多久原村(現北多久町多久原)の人々によって奉納されたもので、草場簾(号・船山)作による詩文と書である。
 草場船山は、草場佩川(儒学者)の長男として、文政2年(1819年)出生。字を立大、通称立太郎、後年鶴翁と号した。6歳で大学を9歳で韻語を学んだ俊才で、19歳で東原庠舎の教官となり、22歳の時邑主の命により昌平黌に学び、後に伊万里に学舎を設け、私塾の充実に尽力した。
明治20年歿。享年69歳(現地案内板より)

多久神社16

多久神社17

多久神社18

多久神社7


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