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多久聖廟 孔子像

平成9年10月、多久市の友好都市である中華人民共和国山東省曲阜市人民政府から友好都市締結四周年を記念して贈られたものです。

多久聖廟1

所在地:佐賀県多久市多久町1843番地3 多久聖廟敷地内

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孔子像

 平成9年10月、多久市の友好都市である中華人民共和国山東省曲阜市人民政府から友好都市締結四周年を記念して贈られたものです。
 唐時代の大画家・呉道玄(680年頃~750年頃)の孔子行教像を元に、曲阜で産出する青石に彫られています。像の高さ2.5m、台座を含めると3.3メートルあります。曲阜市を向いて建てられています。(現地案内板より)

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孔子像碑文

 中華人民共和国山東省曲阜市は、日本国佐賀県多久市と1993年11月23日に友好都市を正式に締結しました。この四周年にあたり、曲阜市人民政府は孔子像を贈ります。
 曲阜市人民は多久市人民に対し敬意を表しますと共に、中日両国人民が友としての誼を末長く持ち続けることをお祈りします。(現地案内板より)

多久聖廟8

多久聖廟9

多久聖廟3

多久茂文公之像

平成11年(1999年)10月に銅像の製作を多久市より佐賀大学の成冨宏教授に依頼し、平成12年(2000年)12月に建立しました。この銅像の参考図版には、多久市郷土資料館所蔵の茂文唯一の肖像画、御厨夏園筆「正智軒雄山君御景」を使用しています。この図版は、郷土資料館に常設展示され、また、釈菜のたびに市民に親しみ、慕われた掛け軸です。
この多久茂文公の銅像は祭官の衣装を身に付け、自愛に満ちた品格と威厳のある姿で、また、躍動感のある像として製作されています。

多久聖廟4

多久茂文公

佐賀2代藩主鍋島光茂の四男として生まれ、後に多久茂矩の養子となり、多久四代邑主となり、貞亨3年(1686年)に17歳で家督を継ぎ、4代領主となりました。若い頃から学問を好み、儒学を学び、「領内の平和と繁栄には、儒学を興し、人を育てることが肝要である」と考え、東原庠舎・多久聖廟を創建しました。

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多久茂文公の像

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夢想庵

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陶租 李参平顕彰庵

聖廟に続く道沿いに李参平の顕彰庵があります。李参平(初代金ヶ江三兵衛)は1592年、豊臣秀吉の朝鮮出兵の引き上げの際に、鍋島直茂が日本に連れて来た陶工たちの一人です。当初は多久安順に預けられ、多久に住んでいました。李参平の作った窯が多久市内の西の原・山口・藤川内に残っています。後に白磁石を求めて鍋島領内各地を転々とし、有田の泉山で白磁石を発見し、日本初の白磁器を作りました。これが有田焼の起源です。よって有田焼の陶租と称されています。

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孔子世系譜

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聖廟詣の碑

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東原庠舎の跡地

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東原庠舎の跡地の中に「鳳凰の箏」の大きな石碑があります。多久初代領主の多久安順の妻・千鶴は筑紫筝の創始者諸田賢順に学び筝の名手であったと言われています。

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鳳凰の箏の石碑

慶長10年5月、佐賀藩主鍋島勝茂の婚礼のために京都伏見に滞在していた多久初代領主「多久安順(龍造寺家久)夫妻に一曲奏でるようにとの勅定があったが畏れ多いと妻・千鶴が愛用した箏だけをお見せしたところ、その音色の美しさに後陽成天皇が「鳳凰」と命名された短冊を下されたと伝えられます。千鶴は多久に在住した諸田賢順(1533年~1623年)から直接箏曲を学び、箏の名手になったといわれています。(碑文より)

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【訳】旧多久邑の名君子は、孔子の教えを学ぶことが何よりも大切でと説いて、聖廟を建てられた。(現地案内板より)

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ハートの形の池

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楷樹

多久聖廟の桧楷樹(トネリバハゼノキ)
推定樹齢:60年
大木さ:樹高8m・幹回り0.8m・枝張り8m
楷は、楷書の言語となっています。

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トネリバハゼノキ

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楷樹

●中華人民共和国原産、ウルシ科の落葉喬木
●学名:Pistacia Chinensis Bunge
●漢名:楷、楷樹、黄連木、黄連樹
●別名:トネリバハゼノキ、ランシンボク(爛心木)
 この楷樹の原木は、中華人民共和国山東省曲阜市孔林の孔子墓塚に孔子の弟子、子貢が手植した老樹である。
 大正4年(1915年)当時の農商務省林業試験場の初代場長、白沢保美博士が孔子墓上から原木の種子を採取し、播種、育苗されたもので、このうち鹿児島第七高等学校(現在の鹿児島大学)へ幼木二本が移植され、そのうちの一本が多久聖廟へ寄贈され、大正14年(1925年)3月9日、この地に植栽されたものである。
 二千数百年の命脈を伝承した銘木楷樹。楷は楷書の言語となっている。材質は緻密で狂人。中国では科挙(王政時代の官吏登用試験)の進士に合格した者にこの笏を与え、杖の材としては楷杖として暴を戒めるのに用いた。(現地案内板より)

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多久聖廟のクスノキ

樹齢:約150年

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史跡多久聖廟

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多久聖廟11

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