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西渓公園

大正12年に東原庠舎で学んだ実業家高取伊好氏が巨額の私財を投じて建設整備し、当時の多久村に寄贈した公園です。高取伊好の号を「西渓」と称していたためこの名をとり西渓公園と名付けられました。

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所在地:佐賀県多久市多久町1975-1
開園時間:8:30~17:00
入園・駐車場料:無料 園内には、国登録文化財で佐賀県遺産の寒鶯亭(かんおうてい)をはじめ、武富咸亮の大宝聖林碑、作家滝口康彦の文学碑、郷土資料館・先覚者資料館・歴史民俗資料館の3つの資料館もあります。

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早春の梅に始まり、春には約400本の桜、五月にはつつじ、秋には紅葉約180本が公園を彩り、1年中四季折々の美しさを楽しめます。

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西渓公園

 城山の緑を背に閑静なたたずまいのこの地は、近世に女山(西多久町)を領有っしていた、多久家筆頭家老の屋敷跡です。大正9年高取伊好氏が公園として整備の上寄贈。地名から西渓公園(にしんたにこうえん)と名付けました。高取氏の号も西渓(せいけい)といいます。
 高取氏はまた大正13年、洋風二階建ての図書館、赤煉瓦造りの書庫「寒鶯亭(かんおうてい)」と呼ばれる公会堂を建立し寄附しました。
 図書館は昭和55年老朽化のため取壊され、跡地には歴史民俗資料館、その南側には郷土資料館が建っています。
 公園内には、高取氏の業を称える像や、聖廟創建に功績のあった佐賀藩の儒者武富咸亮邸より移築された大寶聖林碑、竜造寺長信夫人の屋敷跡とされる「芳岩屋敷(ほうがんやしき)」などの史跡があります。
 こうした先人の遺香とともに、公園には梅・桜・紅葉・草花、数多い野鳥のさえずりなど、四季それぞれに奥深い自然の美が豊かなところです。(現地案内板より)

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高取伊好翁像

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高取伊好

物を開き務めを成した炭鉱王
 高取伊好(1850年~1927年・嘉永3年~昭和2年)は、嘉永3年(1850年)、ペリー来航3年前、多久家儒臣鶴田斌の三男としてどんだ屋敷に生まれた。長兄に刑法学者鶴田晧、次兄に炭鉱経営者横尾庸夫がいる。東原庠舎に学び高取大吉の養嗣子となり、邑主多久茂族に請われ長子茂穀(乾一朗)と勉学を共にした。明治初年工部省鉱山寮に入り、鉱山学を修めたのち、当時最も必要とされた炭鉱の開発に挺身した。晩年、高取鉱業(のちの杵島炭砿)を創設し「炭鉱王」と呼ばれ実業会に名をなした。
 一方事業で得た富は義損金、教育基金、産業資金として惜しみなく社会に還元した。号を西渓、法名を自ら「開物斎成務伊好居士」としていた。高取伊好の生き方は、まさに易経にある「物を開き務めを成しとげる」を意とする開物成務そのものであった。昭和2年(1927年)78才で没した。
 大正9年に村民及び縁故者の寄附で立像が建てられたが、戦時中、供出されて胸像になった。原形は渡辺長男(朝倉文夫の兄)鋳造は岡崎雪聲(東京美術学校教授)によるものである。
 この立像は、高取伊好翁立像復元設立実行委員会と市内外の多くの人達の寄附により、平成23年5月に復元されたものです。(現地案内板より)

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大宝聖林碑

大宝聖林碑(おおたからせいりんひ)

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大宝聖林碑

佐賀藩の儒学者武富富一郎右門咸亮(号廉斉)が佐賀城下の北郊今の大戝町六反田の私邸内に営んだ聖堂を記念して77才にあたる正徳3年(1713年)に建てた碑で、碑面の大宝聖林とは大戝聖堂のことである。
昭和27年秋、武富氏旧邸が分譲地となる為撤去され、翌28年十代の孫武富敏彦が友人高取盛に依頼、盛は咸亮に深いかかわりをもつ多久聖廟に近い西渓公園(現在地)に移転永久保存につとめた。
石碑の高さ約2メートル、横約70センチ。凝灰岩の自然石で碑石を支える台座は亀趺(亀の足の意)といって、中国唐代以来の古制であり、西安碑林の名碑をはじめしばらく用いられ日本では元禄5年に水戸光圀が湊川に建てた楠木正成の墓碑に用いてある。
石工は多久聖廟の造営の際に石工の長として記録に残る平川徳兵衛ではないかと思われる。(現地案内板より)

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石燈籠と水琴窟

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水琴窟

水琴窟は古来日本庭園の特殊技法の一つと言われ、今から180年ほど前に江戸の庭師によって考案されたと言われております。
 水琴窟は底に小さな穴を開けた瓶を地中に伏せて埋め、手水鉢の水が水滴となって瓶の底にたまった水に落ちた時、琴の音色にも似た響きを発する、かすかな水滴の音を聴いて楽しむというものであります。
 人々はとにかく無味乾燥になりがちであり、生活文化が多様化する今日、水琴窟の響きが粋な雰囲気を醸し出し、心にゆとりと豊かさを与えてくれるでしょう。(現地案内板より)

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寒鶯亭

高取伊好が大正14年に当時の多久村に公会堂として寄贈したもので、現在も市民に利用されています。

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寒鶯亭

寒鶯亭は多久町出身の炭鉱王、高取伊好が大正14年に当時の多久村に図書館とともに公会堂として寄贈したもので、村の公会堂として、また、市制施行後は多久市公会堂として文化活動などに広く利用され、平成4年からは名称を寒鶯亭と改め現在に至っています。
建物の構造は、16畳3室、その周囲に緑を回し、入母屋、瓦葺きの大屋根を架けています。

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多久市西渓公園寒鶯亭

佐賀県遺産 第2010-2号
 寒鶯亭は、多久町出身の炭鉱王・高取伊好によって、大正11年に図書館や西渓公園とともに村の公会堂として寄贈された建物であり、木造和風公会堂建築の好例といわれる。建設当時は大規模な小路であり、村民のための社会事業の側面もあったという。
 学問の家系に生まれた伊好は、人情に厚く、文化・教育・社会事業に多額の寄付をした。当時独立施設の村立図書館はめずらしく、寒鶯亭や西渓公園と合わせ、小さな山間の村に文化の灯をともしたいという伊好の思いが込められている。伊好直筆による「寒鶯待春」の書が寒鶯亭の名の由来であり、寒鶯とは冬の鶯の意味である。「冬の間、鶯は春に備えて一生懸命笹鳴きをし、春に美しいい声を出し一人前の鶯となる。多久の人々も一人前の人物として世に出るため、この公会堂で学んでほしい」という思いが込められている。
 また、図書館に付設された赤煉瓦造りの書庫(現多久市郷土資料館書庫)は西渓公園内に現存し、寒鶯亭とともに建設には杵島炭鉱の技師が数多く携わったといわれている。(現地案内板より)

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寒鶯亭

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寒鶯亭

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寒鶯亭

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寒鶯亭

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寒鶯亭

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多久市郷土資料館

開館時間:9:00~16:00
休館日:月曜日(月曜日が祝日の場合は翌火曜日が休館)
※紅葉まつり中は休館日無しで、17:00まで開館
訪問時は、肥前狛犬を学ぶ会の後援で「みなさまをお守りする 多久の神さまたち」の特別企画展が開催されていました。
上の写真は、猪像です。

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宇賀神像

人頭蛇身、頭は老翁で身体は蛇の形をした水神様です。こちらの宇賀神像は、東多久町平林の両子神社に祀られています。

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肥前狛犬

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肥前狛犬

肥前狛犬は佐賀県と、福岡県・長崎県・熊本県の一部に分布し、製作時期は16世紀後半から18世紀前半の約160~170年間に限られ、阿吽一対二体がセットとなっています。小型で素朴ななかにもデフォルメされ、ユーモラスな顔立ち、直線、曲線を駆使したユニークな体形から肥前石造物の最高傑作といわれています。石造物愛好者の間でも最も人気が高い石造です。(現地案内板より)


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