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大川内山鍋島窯跡

史跡内には御用窯跡・物原・ボシ小屋跡・藩役宅跡・御細工場跡・陶工屋敷跡群などが広範囲に残っています。

藩窯御細工屋敷跡1

所在地:佐賀県伊万里市大川内町

藩窯御細工屋敷跡2

この細い坂道を上った所に、藩窯御細工屋敷跡などがあります。

藩窯御細工屋敷跡3

この坂の突き当りの左手にあります。

藩窯御細工屋敷跡4

清正公堂と大公孫樹

大公孫樹は、幹回り約5.3m、枝張り約18m、高さ約30mで、樹齢は250年前後と推定されています。樹木にはイチョウの老木によく見られる気根(枝から空中に出た根)が多数発生しています。

藩窯御細工屋敷跡5

国史跡 大川内山鍋島窯跡

平成15年9月16日指定
 佐賀藩(鍋島家)は1660年代に将軍への献上を主目的とした特別あつらえの焼物をつくるため、肥前磁器の製作技術を結集して、大川内山に御道具山(おどうぐやま)を開設しました。
 ここでつくられた焼物「鍋島焼」(色鍋島・鍋島青磁・鍋島染付など)は、将軍への献上や諸大名への贈答、あるいは藩主の城中用としてのみ使用することが目的であったため採算を度外視した生産であり、また一般市場へは出回ることはなかったといわれています。
 このように国内の他の磁気製品とはまったく違う次元で製作された鍋島焼は日本的美意識の集結である陶磁器製品の美術的価値の最高峰であるといえます。
 現在、史跡内には御用窯跡・物原・ボシ小屋跡・藩役宅跡・御細工場跡・陶工屋敷跡群などが広範囲に残っています。御用窯跡では5回にわたり、藩役宅跡周辺では3回にわたって発掘調査が行われました。
 御用窯跡には最終操業時の窯壁などが残っています。規模は水平全長で約137メートル、焼成室は27~30室と推定され、構造は階段状連房式登窯です。
 大川内鍋島窯跡は鍋島焼を研究する上で、当時の藩窯の制度や工人達の生活ぶりを知るための貴重な史跡であるとともに、日本の近世陶磁史・窯業史・美術史を研究する上でも、その学術的価値が非常に高い遺跡です。
伊万里市教育委員会(現地案内板より)

藩窯御細工屋敷跡6

藩屋宅跡

 この場所には、藩窯の管理・運営を直接行う役人が詰めていた藩窯の中枢的な建物がありました。
 藩窯の様子を描いた絵皿の中央には、役宅跡と推定される建物が描かれ、さらにその周辺には御細工場、米倉、焼物倉、イチョウの木などが描かれています。
 焼物倉は現在立っている清正公社の左側に、米倉は右側にあったと言われています。
 イチョウの木は、幹回り約5.3m、枝張り約18m、高さ約30mで、樹齢は250年前後と推定されています。樹木にはイチョウの老木によく見られる気根(枝から空中に出た根)が多数発生しています。
 イチョウの木の根元には杢兵衛題目塔があります。この題目塔は藩窯の管理・運営を代々勤めてきた副田氏の一人である副田杢兵衛が先祖の供養のため天保3年(1683年)に建立したものと思われます。
伊万里市教育委員会(現地案内板より)

藩窯御細工屋敷跡7

とんご岩


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