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トンバイ塀

トンバイ塀とは、古窯の耐火レンガや窯道具を再利用した土塀のことで、有田町内の各所に点在しています。

トンバイ塀1

所在地:佐賀県西松浦郡有田町

トンバイ塀2

トンバイ塀のある裏通り

「トンバイ」とは窯壁に使用する耐火煉瓦のことで、古窯の耐火レンガや窯道具を再利用した土塀が「トンバイ塀」と呼ばれている。これは窯の中で高温に熱せられ様々な釉薬が付着してできた微妙な色合いをもち、有田独特の景観を呈している。
トンバイ塀は、江戸期から築かれたと思われ、現在も有田町内の各所に点在しているが、とりわけ、大樽の有田陶磁美術館から泉山の大公孫樹までの裏通りには多い。この裏通りを「トンバイ塀のある裏通り」と呼び、伝統産業都市有田にふさわしい景観をもつ環境に整備した。
この事業は国土庁の地方都市整備パイロット事業として、佐賀県と有田町が昭和58年度に計画を策定し、59年度から61年度に実施した。(現地案内板より)

トンバイ塀3

トンバイ塀8

トンバイ塀のある裏通り

解体した登り窯の煉瓦を利用して造られた塀で、独特の雰囲気を醸し出しています。主に泉山の大公孫樹から大樽の陶磁美術館までの通りで見ることが出来ます。

トンバイ塀5

トンバイ塀6

トンバイ塀10

トンバイ塀1

トンバイ塀2

トンバイ塀3

トンバイ塀4

トンバイ塀5

トンバイ塀のハート

トンバイ塀の中にハートの形が隠れていました。

トンバイ塀6

トンバイ塀4

三空庵広場のトンバイ塀

トンバイ塀7

三空庵広場

昔、この地に三空庵という庵があったので、三空庵広場と呼ばれている。広場の西には六地蔵があり、墓地に眠る死者の霊を弔っている。東には地蔵堂があり、木で造られた大きな地蔵が祀られている。この大地蔵は江戸時代前期の作で、文政8年(1825年)京の仏師により彩色された。
文政11年(1828年)の大火の際、徳三郎という人が大地蔵を自分の家に避難させたという記録が残っているが、この時軽くなってくれるように拝み、背中にかついで避難させたとの言い伝えもあり、今でもたいせつに祀られている。(現地案内板より)

トンバイ塀8

トンバイ塀9

トンバイ塀10

トンバイ塀1

トンバイ塀2

辻精磁社

所在地:佐賀県西松浦郡有田町上幸平1-9-8

トンバイ塀3

宮内庁御用達 辻精磁社

白磁発祥の地有田において卓越した技術を持つ辻家は、第112代霊元天皇の時代、禁裏(皇室)より御用品調製の命を受け、日本で最初に磁器食器を納め、禁裏(皇室)御用窯元になりました。
その後、第118代後桃園天皇の時代特旨により官職常陸大掾に叙せられ、この栄職を明治まで世襲しました。さらに、明治から昭和初期までは宮内省御用達、戦後は宮内庁御用達を拝命し、現在も皇室御用窯元として御用命を賜っています。

トンバイ塀7

トンバイ塀8

トンバイ塀9

トンバイ塀5

トンバイ塀と金木犀

トンバイ塀10

トンバイ塀の上にキンモクセイの花が咲いていました。辺りにいい香りが漂っていました。

トンバイ塀4

金木犀

トンバイ塀7

トンバイ塀とガラニティカセージ

トンバイ塀6

ガラニティカ セージ

トンバイ塀9


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