光端山 法元寺
法元寺は元文元年(1736年)、佐賀藩から「山中繁昌・諸災転除」の勤行を命じられ、陶器祈願所となったお寺です。
日蓮宗 光端山 法元寺 (ほうげんじ)
佐賀県西松浦郡有田町赤絵町2丁目1-3
法元寺の門前には、「陶器祈祷所」と刻まれた自然石の石碑が建っています。法元寺は元文元年(1736年)、佐賀藩から「山中繁昌・諸災転除」の勤行を命じられ、陶器祈願所となりました。窯焼きは火入れのさい、法元寺の祈祷札を竹の先に挟んで窯場に立てました。
法元寺
ここ法元寺は日蓮宗の寺で、小城町の松尾山光勝寺の末寺です。門前に「陶器祈祷所」と刻まれた石碑が建っています。これはこの寺が元文元年(1736年)に佐賀藩から「山中繁昌・諸災転除」の勤行を命ぜられて陶器祈願所となったことから建てられたものと思われます。
焼き物は多くの職人の手を経て形を作り、最後の行程である窯に入れ、炊きおわってから窯出しをするまでその出来、不出来は全く分かりませんでした。この焼成での失敗を有田では「ふがま」といいますが、「ふがま」三回で窯焼きはつぶれるなどともいいました。現在のように温度計もない時代には、焼き上がりの無事を神仏に祈るしかありませんでした。
登り窯の上方には「山の神」や「稲荷神社」が祀ってあり、窯焼きは火入れのたびにこれらの神に供物を供えたり、法元寺の祈祷札を竹の先に挟んで窯場にたてました。法元寺にはこれらの祈祷札の版木や、古文書などが残されています。
法元寺沿革由来 歴史公園「やきものの里」法元寺(現地案内板より)
法元寺沿革由来
当山は元和年間(380年前)松尾山光勝寺の第19世日億上人の開基で法華経弘通の精舎である。ここで当山は法華経五千部を読誦して17日の間、国家安全、陶器成就、当山繁栄の祈祷を勤行した所、その効果が著しかった為、元文元年10月に鍋島五代藩主宗茂公より御朱印並びに御紋付提灯を拝領し、尚、安永6年より毎年銀二枚ずつを与えられる事になった。当山の山門前には自然石に「陶器祈願所」と彫られた表碑が建っている。
明治時代までも皿山中の窯焼は何宗を問わず本窯火入れ度毎に当山の祈祷符を請けて竹の端に挟み色見穴の辺りに建てたるものである。亦正月と七月の十六日には当山より各窯元に祈祷の木符を配布した、現在は毎年五月の千部経会に御祈祷が行はれている。
平成5年11月 光端山 法元寺(現地案内板より)