有田の町並
有田町の東部に位置する「内山」地区の、大通り沿いを中心とする約2㎞の範囲の町並みは、現在も歴史的価値の高い建物が数多く残っていて、1991年に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
重要伝統的建造物群保存地区
所在地:佐賀県西松浦郡有田町
豊臣秀吉が朝鮮出兵した際、朝鮮半島から連れて来られた陶工の李参平らによって、17世紀初めに有田の泉山で、磁器の原料となる良質の陶石が発見され、日本で初めて磁器が焼かれました。その後、1630年代に本格的な磁器生産が行われるようになった有田では、佐賀藩の厳しい管理の下、現在の窯業スタイルに近い分業化による生産体制が築かれました。以来、谷あいに「有田千軒」と呼ばれる町並みが形成され、繁栄を極めました。この町並みは、現在も歴史的価値の高い建物が数多く残っていて、平成3年(1991年)に国の「重要伝統的建造物群保存地区」に選定されています。
やきものを中心に栄えてきた有田内山には、江戸時代より明治・大正・昭和の初期にわたり、その時代を代表する漆喰壁の町屋や洋風建築等が建てられ、九州でも最も質が高いといわれる変化に富んだ独特の町並みを形成しています。この有田内山の町並みは、各時代の常に新しいものを受け入れつつ発展してきたため、全体としては多様性に富んだ表情を持っていることが大きな特徴です。
この通りには、数々の陶磁器屋さんが並び、町全体が陶磁器の博物館の様です。昭和5年築の旧松本家など古い建物があります。旧松本家は、有田の焼き物商家としては古い歴史を持ち、有田一の平入り大型町屋であり、重厚な建物です。
赤絵町には、有田焼を扱う商店等の建物が軒を連ねています。江戸時代から昭和初期の間に建てられた建物が数多く残っていて、歴史的建造物も多く残っています。平成3年に佐賀県で初めて「重要伝統的建造物群保存地区」に指定され歴史的な街並みが維持されています。
因みに赤絵とは、赤色を主として彩色を施した陶磁器やその絵のことをいいます。赤絵屋は絵の具の製造から赤絵付け(上絵付け)まで行う職人でした。
江戸時代、鍋島藩にとって有田焼は重要な財源でした。有田焼の技術の漏えいを防ぎ、有田焼を護り、さらに高品質の有田焼を作るために、赤絵町に赤絵職人を集め、16軒のみ営業を許可しました。現在の赤絵屋は38軒あるそうですが、江戸時代のように絵の具の製造まで行い絵の具店としても有田の色を護っている赤絵屋は辻絵具店を含む数軒のみになりました。
陶舗 山文
蒲仙堂 菖蒲の隠者
所在地:佐賀県西松浦郡有田町中樽1-13-28
椀・カップ・湯呑・皿・鉢などの食器からインテリア、ギフト用品なども取り扱っています。銀河釉も取り扱っています。
浦田商店
嬉野書店
十六夜庵
所在地:佐賀県西松浦郡有田町赤絵町1-1-5
江戸時代の有田市赤絵町には16軒の赤絵工房があったことから、ギャラリーの名前を十六夜庵にしたそうです。趣がある陶板の看板の横に「千客万来」の文字が入った外灯がありました。木造2階建ての古い洋館とマッチした、面白い外灯です。
町のオフィス春陽堂
体験工房 赤絵座
鬼瓦
鬼瓦
鬼瓦
鬼瓦
秋桜
ハートに象られた花
三階建ての建物
札の辻
有田の郵便ポスト
設置場所:佐賀県西松浦郡有田町赤絵町 有田局前
設置日:昭和57年(1982年)年7月23日
有田の街中に、黒い郵便ポストがありました。その上には有田焼の人形が飾られていました。有田焼のPRの為に設置されているそうです。有田焼の人形は、まるで箱入り娘のように透明のケースの中に入っていました。有田ならではの郵便ポストですね。
長崎街道沿いの郵便局には、黒いポストが点在しています。もしかしたら、全国各地に珍しいポストがあるのかもしれません。
有田皿山 赤繪町區
路地の向こうには煙突が見えます。
路地の石畳
路地