有田大公孫樹
樹齢1000年を超える大銀杏です。
所在地:佐賀県西松浦郡有田町泉山1-14-22
泉山弁財天神社境内にあります。
国指定の天然記念物です。
樹齢:約1000年
高さ:38m
枝張り:31m
幹回り:約12m
天高く聳え立つその姿に圧倒されます。
国指定 天然記念物 有田大公孫樹(ありたおおいちょう)
泉山弁財天社の境内にある大イチョウは、初夏には目にもまばい新緑が、秋になるとあざやかな黄色に変わって、皿山の情緒に彩りを添えてくれます。樹齢は千年くらいとみられる雄木で、勢いを全く失っていません。
高さは38メートル、根の回りが11.6メートル、人の目の高さ付近の幹回りが8.8メートル。枝の張りは東西31メートルに及びます。佐賀県内では一番の巨木ですが、これだけ大きなイチョウの木は、おそらく全国的にも少ないでしょう。1926年(大正15年)10月、国の天然記念物に指定されています。
イチョウは中国が原産地だといわれています。日本にも原産したとか、寺の境内などに多いことから、中国に勉強に行った僧侶が、観音像などといっしょに持ち込んだとか、いろいろな説があります。そのようなことから、大イチョウのあるところに歴史あり、と人はみるのですが、弁財天社のいわれは分かっていません。ただ、境内を修理していたときに、朝鮮から渡って来た陶工が作ったものとみられる染付の茶碗や陶製の人形が出てきて、このあたりに古い窯があったことが証明されています。
名工 副島勇七の作だと伝えられる磁器の「赤絵狛犬」が奉納されていたという言い伝えなどから、弁財天社は、泉山に住む焼き物関係者の信仰の対象であったとみられます。もしかすると、町の背後にそびえる黒髪山にこもった修験者たちの、道場の一つであったかも知れません。
イチョウは病害虫に強く、火にも耐えます。それが長命の条件ともいわれます。有田皿山が文政11年(1828年)の大火に会ったとき、大イチョウの下のある泉山の窯元池田伝平窯は焼失をまぬがれましたが、それは、この大イチョウのお蔭だと伝えられています。四百年前、有田町が田中村と呼ばれていたそのまたずっと以前より、この樹はこの町を見守り続けてきました。
(有田町歴史民俗資料館)大公孫樹(現地案内板より)
有田大公孫樹の周辺
この辺りは、秋になると弁財天神社へ続く道が有田の大銀杏の落葉で黄色い絨毯を敷き詰めたようになります。大公孫樹下にある口屋番所跡では江戸時代に佐賀藩の役人が常駐し、陶石ややきものの持ち出しなどに対し、厳しい取締りを行っていました。
トンバイ塀
トンバイとは、窯壁に使用する耐火煉瓦のことで、トンバイ塀とは解体した登り窯の耐火煉瓦を利用して造られた塀のことです。窯の中で高温に熱せられ様々な釉薬が付着してできた微妙な色合いを持った煉瓦が、独特の雰囲気を醸し出しています。主に泉山の大公孫樹から大樽の陶磁美術館までの通りで見ることが出来ます。
まだ紅葉には早く、黄色の絨毯を踏むことはできませんでした。