志田の蔵
長崎街道沿いに白い字で、丸に志の字を書いた倉庫が並んでいます。志田の蔵と呼ばれる志田焼の倉庫群です。志田の蔵は大正時代に当社の焼物倉庫として建てられ、「まるし」の倉庫と呼ばれていました。頑丈な梁に支えられた倉庫群は当時の志田焼の繁栄を物語っています。
長崎街道 志田の蔵(志田陶磁器株式会社)
所在地:佐賀県嬉野市塩田町大字久間乙3242-3
まるし(○志)の倉庫群の一角にあります。
開館時間:9:00~18:00
休館日:年末・年始・お盆
倉庫1階では、有田・伊万里・波佐見・吉田などの現代の焼物の展示販売をしています。1Fには、陶磁器・箸・木製品・うれしの茶・うれしの紅茶・地元のお菓子・地元のお土産品、手作りガラス・とんぼ玉などを展示販売しています。人間国宝や日展作家・青木龍山、小野珀子や井上萬二、中村清六等の代表的な作品も展示・販売しています。
志田焼は1700年頃からこの志田地区で始まりました。特に幕末の全盛期には5つの登り窯によって皿類が大量に生産され全国に販売されました。また、昭和30年代までは、火鉢が多く生産されました。志田陶磁器株式会社で造られた火鉢等が当時の藁による荷造り姿のまま展示されていました。昭和レトロな雰囲気が残る火鉢などがたくさん展示されていました。
志田焼倉庫
倉庫内の一部を改修し、1階には志田焼の里(旧志田焼株式会社)で造られた火鉢等が当時の藁による荷造り姿のまま展示されています。倉庫1階では、有田・伊万里・波佐見・吉田などの現代の焼物の販売しています。
志田焼とは、肥前鍋島藩領の志田東山と鍋島藩蓮池支藩領の志田西山で焼かれていました。初期は陶器のみ、18世紀半ばからは天草陶石による磁器の焼成が始まりました。全盛期は文化年間以降で大中小の染付皿が大量に生産されました。幕末期の鍋島藩全皿山で志田染付皿の占める割合は過半数にも及び、佐賀県窯業史上重要な役割を果たしていました。
志田焼資料館内には、東海道五十三次大皿展示室があります。有名な広重の浮世絵「東海道五十三次」を写した45センチの大きな額皿が55枚、日本橋から京の三条大橋まで欠けることなく揃っています。作者は有田の陶芸家、辻一堂(本名:貞男 明治44年~昭和58年)です。漆蒔(うるしまき)の技法を使った見事な大皿です。
志田焼の火鉢などが展示されています。藁に梱包したままの火鉢があります。
積み上げられた火鉢
火鉢と大皿
華あんどん展
和布を使った華あんどんが展示されていました。