志田焼の里博物館
志田焼の里博物館は、昭和59年に閉鎖されるまで実際に志田焼を生産していた工場をそのまま博物館にしたもので、陶土づくりから成形・絵付け・焼成と、大正・昭和初期における磁器製造の全工程を見学できる貴重な施設です。
所在地:佐賀県嬉野市塩田町久間乙3073
開館時間:9:00~17:00
休館日:毎週水曜日・年末年始
観覧料:大人300円・小人150円
20名以上の団体 大人200円・小人100円
旧長崎街道の宿場町だった塩田町の志田地区の周囲には皿山がありました。その焼物は志田焼(しだやき)と呼ばれ、多くの生産量を誇っていました。当時は塩田津から志田焼を船積して、塩田の宿場は大変な賑わっていたそうです。
明治42年3月、70名程の地元有力者の出資により資本金3万円で志田焼の卸商社として志田陶磁器株式会は設立されました。
志田焼の里博物館は、昭和59年に閉鎖されるまで実際に志田焼を生産していた工場をそのまま博物館にしたもので、陶土づくりから成形・絵付け・焼成と、大正・昭和初期における磁器製造の全工程を見学できる貴重な施設です。
志田焼の里博物館は、建造物群全体及び用具備品などを含めて貴重な産業遺構です。
志田焼の里博物館
この施設は、志田焼を生産した工場を保存し、現代に博物館としてよみがえらせたものです。志田焼は1700年頃にはすでに始まっており、長い歴史があります。
志田のやきもの作りは、長崎街道をはさんで東山と西山に分かれていました。ここは西山です。
昔から東西の職人が腕を競い、刷毛目の陶器や染付の磁器などを多く生産しました。この工場は志田陶磁器株式会社によって大正時代から始まり、志田焼精算の中心となりました。昭和30年代までは火鉢などが盛んに作られましたが、昭和59年(1984年)に工場が閉鎖されました。残された施設は大正・昭和初期の雰囲気が漂い、昔の職人さんが今でも働いているような感じがします。
やきもの作りの全工程が見学でき、巨大な窯は見る人を圧倒します。このような大規模な工場がそのまま保存されているのは大変珍しく、歴史的施設として高く評価されています。どうぞ志田焼きの作られた環境を楽しんでください。
平成9年5月 塩田町 (現地案内板より)
耐火煉瓦の壁
壁の前に積まれているのは陶石です。
天草陶石
クラッシャー
クラッシャー(粉砕機)で、陶石を砕きます。
スタンパー
陶石を砕く機械です。
手押しポンプ
水槽・フィルタープレス
ドロドロの液体は、アルミの樋を伝わって各水槽に入れられ、不純物は下に沈殿させて、きれいなドロドロの液体にします。それをフィルタープレスに約3時間かけ、板状の粘土を作り、保管庫にて保管します。
石膏型原型成形場
文化湯暖保(湯たんぽ)の原型です。
焼き物を同じ形で大量に作る時は、石膏型を使っていました。この部屋は、その石膏型の元となる原型を作る所です。
瓦
火鉢の成形
釉薬
釉薬調合場の釉薬(ゆうやく)が入っているかめです。焼き物の表面は釉薬と呼ばれるガラス状のもので覆われています。ここに並ぶかめには、様々な種類の釉薬が調合されて入っています。
煉瓦の煙突
志田焼の里博物館のシンボルです。
原型・ケース・
窯詰めの作業場
藁に梱包された志田焼の火鉢
志田焼
江戸時代の志田焼や素焼きの志田焼などが展示されています。
志田焼
煙突