清涼山 光桂禅寺
光桂寺は鍋島直澄公の五女昭圭禅尼(阿満の方)が直澄公と自分の主人松平好房公の菩提を弔うために開基となって建立したお寺です。
清涼山 光桂禅寺 (光桂寺・こおけいじ)
所在地:佐賀県嬉野市塩田町五町田甲3449
蓮池藩主、直澄の五女昭主禅尼が開基した臨済宗妙心寺派の寺です。山門前には、平川与四右衛門の仁王像が立ち、平和の鐘として有名な、慶応3年(1870年)の釣鐘もあります。本堂裏には、枯山水の庭もあります。
清涼山 光桂禅寺
光桂寺は臨済宗(禅宗)妙心寺派に属し、本尊は釈牟尼仏である。当寺は蓮池初代藩主直澄公(正献院殿)の五女で昭圭禅尼が直澄公及び、自分の夫君の菩提をとむらうために、関基となって建立した寺である。直澄公の山荘があった由緒地である。昭圭禅尼は承応3年に佐賀城に生まれ寛文9年に14歳で島原城主松平忠房公の若君で好房公に嫁したが、16歳の時好房公が没した為、剃髪し京都の妙心寺に入り、月山昭圭禅尼と様した。
宝永5年建立。清涼山とは夫君清涼院殿の院号に因むものである。また開山は洞天大和尚である。寺宝に昭圭禅尼、直澄公の遺品、自画像等が数点残っている。
門前には石造仁王像があり、町内では一番古く、平川与四右衛門、陣内善次良の作で陣内の作は佐賀県では一つしかなく貴重な作である。(高さ約2m50cm)
境内には地蔵堂があり地蔵菩薩(高さ:約2m50cm)で安産の守り地蔵として、町内外より、安産祈願の信者が多い。
また鐘楼には大釣鐘があり、高さ約1m、直径75cm、重さ約75kgで慶応3年の作
この釣鐘は太平洋戦争の時、金物供出の勧告を受けたが、当時の住職祖伝尼が上京して当局に仏道における鐘の真義を述べ、鐘は人間の心の灯、大臣も末踏の境地を極めよと逆に説き遂に初志を貫き供出しなかったという有名な日因縁の鐘である。本堂裏には、枯山水の庭園有
平成10年記す 臨済宗妙心寺派 光桂禅寺(現地案内板より)
光桂禅寺の仁王像
仁王像の高さ:2.3m
塩田町内の仁王像では一番古く、平川与四右衛門初期の秀作です。仁王像には、「小城郡砥側住 平川与四右衛門 陣内善次良」と刻まれています。平川与四右衛門は肥前石工として名を知られた名石工のひとりです。平川与四右衛門の刻銘のあるものは、元禄元年から享保21年までありますが、光桂寺仁王像には年号は刻まれていません。しかし町内での仁王尊では一番古いものといわれ、塩田町の文化財に指定されています。
光桂寺の仁王像 阿形
塩田町重要文化財指定)
当山の仁王像は仏法を守る守護神で山門の両脇に置き一対の阿吽の金剛力士で密使金剛(阿)那羅延金剛(吽)で上体は筋肉隆々としての風格があり砥川在住の平川与四右衛門と塩田在住の陣内善次良作である。
与四右衛門の銘のあるものでは、元禄元年から享保21年までで善次良作では県内でここの仁王像だけで年号は彫っていないが、肥前石工として有名な善次良と与四右衛門の銘があることで、平川与四右衛門の作と考えられる。
塩田町仁王像では一番古く、貴重な彫石である(塩田町史参照)外境内に多数の石仏ありお参り下さい。
石仏の寺 清涼山 光桂禅寺 (現地案内板より)
光桂寺の仁王像 吽形
仁王像の後ろ姿
扁額
光桂禅寺と記されています。
石灯籠と本殿
光桂禅寺 鐘楼堂 再建
当山創建300年の歴史の中で鐘楼は慶應3年作で、高さ約1m、重さ約500kgであり酒造家瀬頭平次兵衛、新作、瀬頭大次郎、大次兵衛の4氏で奉献され、この釣鐘は太平洋戦争の時、金物供出の勧告を受けたが、当時の住職祖伝禅尼が大臣、県知事に仏法を説き、遂に初志を貫き、供出しなかった(平和の鐘)です。
鐘楼堂は本堂とともに、大正13年に一度古くなり再建され、今回昨年8月の12号台風で大銀杏の木が倒れ鐘楼堂破壊した為、檀徒一同、また信者の皆様方の御浄財を賜り、ここに新たに建立できましたこと、一重に深く感謝申し上げる次第です。尚現在地に寄付者芳名の記念碑を後日建立し、功徳者名を後世まで残すものです。
合掌 昭和63年10月8日 吉辰日
鐘楼堂再建委員会会長 瀬頭文一 副委員長 野中道雄 吉永久司 小柳哲郎 北平八郎 他 光桂寺世話人会員一同
光桂寺住職16世 龍眼良徹代 (現地案内板より)
光桂禅寺の梵鐘
慶應3年作
高さ:約1m 重さ:約500kg
戦争時の金物供出も免れた「平和の鐘」として有名な梵鐘です。細工が見事な龍頭、笠形や上帯も細かい細工が施されています。梵鐘の池の間には細やかな彫刻が施されていて、美しい梵鐘です。酒造家瀬頭平次兵衛、新作、瀬頭大次郎、大次兵衛の4氏で奉献されたものです。
小佐々祖伝禅尼
庭園
座禅石
愚痴聞地蔵
あなたのぐちを話してみませんか。スッキリと晴れ晴れとした気持ちにしてくれます。(現地案内板より)
愚痴聞地蔵の後ろ姿
大黒天
魔訶迦羅尊天
三宝を守護し、飲食を司る黒色念怒相を示し、以前は戦闘、福徳の神であったが後世には七福神として頭巾をかぶり右手に打ち出の小槌をもち、左手に大嚢を負い俵を踏んで立ち、財宝豊富を示します。
大黒天真言(七回唱える)「おんまかきゃらやそわか」
住職日(現地案内板より)
弁財天
七福神の一神(仏)でインドの神が仏教にとり入れられ音楽(芸道)、弁財、財福、智慧の徳がある天女としてしられ、特に芸道に通ずる方々に信仰が強い。(現地案内板より)