九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

吉浦神社

地元の方には、お山さんと呼び親しまれている神社です。蓮池藩祖直澄公を祠っています。

吉浦神社1

所在地:佐賀県嬉野市塩田町五町田甲4003
御祭神:旧鍋島蓮池藩祖 鍋島甲甲斐守直澄公
鎮座地:佐賀県嬉野市塩田町大字五町田字吉浦至誠山
美しい石畳の参道の両側には、石灯籠がずらりと並んでいます。眼鏡橋、石段、楼門なども見事です。その他にも寄進された多くの石造物があります。往時携わった大工、石工他職人の技術の高さが伺えます。桜、つつじの名所でもあります。

吉浦神社2

塩田石で造った鳥居

吉浦神社3

吉浦神社ご由緒

鍋島甲甲斐守直澄公は佐賀藩主鍋島勝茂公の三男にして元和元年(1615年)11月12日、佐賀城にて誕生され、用明を千熊丸と言う。
生来英邁神慮にして、武勇にすぐれ寛永12年直澄公21歳の時に江戸に参勤し、従五位下に叙せられ任ぜられ寛永14年(1637年)島原の乱が起ると出陣し、これを鎮定され、寛永16年(1639年)直澄公25歳の時、父勝茂より佐賀、神埼、杵島、西松浦、藤津の各地より三万五千六百二十五石を分かち与えられ、後に一万七千石を増し蓮池に封じ諸侯に列せられた。
公は宗藩の制度にならい制度を整え藩政をよく納め善政を行ない、水路、提を築いて農業を盛んにし、学問、産業の振興につとめ、窯業、酒造業などを盛んにするなど領民のために献身され領民から深く慕われた。
寛文5年(1665年)吉浦に別館を設け、剃髪して、義峰と称して老後を送られた。直澄公55歳の時病にたおれ、寛文9年(1669年)3月5日吉浦の館で逝去された。直澄公の遺骸は吉浦で荼毘に伏し、吉浦至誠山(現吉浦神社)に葬った。
正献院義峰宗眼と諡(おくりな)した。
延宝8年(1680年)庚申、至誠山、秀天霊社と称した。文政元年(1818年)百五十年祭が斎行され、大明神の称号をうけ以後、吉浦大明神と称し崇拝された。
明治初年吉浦神社と称し明治12年には郷社に列せられた。現在五町田の氏神であり、学業、商業、産業の守り神として塩田町はじめ県内外より崇敬され参拝者が多い。
例大祭 4月5日(現地案内板より)

吉浦神社4

石造眼鏡橋

吉浦神社5

石燈籠


佐賀一覧

  佐賀  唐津  武雄・嬉野  有田・伊万里
  鳥栖・三養基郡   多久・神崎  えびす