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塩田宿・塩田津の町並

佐賀県の南西部嬉野市塩田町は、長崎街道の25ある宿場の一つとして、古くから栄えました。

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塩田宿の町並み

所在地:佐賀県嬉野市塩田町
塩田町は旧長崎街道に面していて、往時は大変賑わったそうです。今も江戸時代の雰囲気を残した町並は風情があります。
旧長崎街道に面した通りには、耐火機能をもつ江戸後期から明治にかけての「居蔵造」の町家が軒を連ねています。なかでも回船問屋・西岡家住宅は旧長崎街道と旧塩田川に面した大店でした。

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えびすさん

佐賀県の南西部嬉野市塩田町は、長崎街道の25ある宿場の一つとして、古くから栄えました。また、有明海へと繋がる塩田川の水運は、ここを物資の集散地である川港としても大きく発展させ、水陸交通の要だった町です。
塩田川の語源は、奈良時代に編纂された「肥前風土記」にある「潮高満(しおたかみつ)川」から来ているそうです。有明海の潮の干満の大きさを思わせる名前です。
江戸後期に建設された「居蔵家」と呼ばれる町家が重厚な景観を形成していて、さらに塩田石工による石垣や仁王像、恵比寿像なども点在しています。

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塩田津の町並み

手前から杉光陶器店、杉光陶器店三之蔵、西岡家住宅

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古い伝統的な建物が軒を連ねています。

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塩田町には、下記のように多くの文化財が残されています。
国指定重要文化財・西岡家住宅、登録文化財・杉光陶器店
佐賀県指定重要文化財・八天神社眼鏡橋、佐賀県指定天然記念物・唐泉山椎天然林、塩田町史跡・鬼塚古墳
塩田町重要文化財・光桂寺仁王像、塩田町重要文化財・本応寺仁王像、塩田町重要文化財・常在寺仁王像
塩田町重要文化財・線彫地蔵尊、塩田町重要文化財・経筒など

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本應寺へと続く道

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塩田宿は江戸時代、蓮池藩の飛地として、長崎街道の宿場であり、また有明海に注ぐ塩田川河口7kmの位置にあり、干満の差(遡流)を利用した河港(津)として栄えたことから、上町・中町・下町一帯は「塩田津」と呼ばれ、肥前国南西部おける経済・水上交通の要衝として繁栄しました。江戸時代後期の居蔵造の町屋が数多く残り、町割や水路などにも大きな変化は見られないまま、歴史的景観を良好に継承しています。平成17年12月に国の「重要伝統的建造物保存地区」に選定され、保存修理工事が行われています。

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佐賀西信用組合塩田支店

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旧つるや呉服店

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橋口屋

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橋口屋

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木炭屋

長崎街道 塩田宿 木炭屋
江戸時代の塩田宿は、水陸の要所であり、往来が盛んでした。江戸時代は有明海の沿岸に沿った多良街道の起点にもなっていました。塩田宿は、有明海を利用する海路と、長崎街道を通る陸路の物資の集散地として発展しました。そんな町並みにぽつりとあった「木炭屋」と書かれた木の看板。なんだか哀愁がありますね。

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札の辻

札の辻(ふだんつじ)は、江戸時代の「高札場」跡
瀑布、佐賀藩の布令を高札にして建てた場所です。(現地案内板より)

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消火栓

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塩田津の歴史

塩田津は、寛永16年(1639年)に佐賀藩の支藩である蓮池藩の飛地として領地に組み入れられ、その西目統治の拠点として、頭人役所や藩主の休泊施設である上使屋が置かれました。また、長崎街道の宿場としての役割に加え、有明海の干満差を利用し、陶磁器やその原料となる天草陶石などの積み下ろしを行う川港としても発展し、佐賀南西部における経済の中心地として栄えました。
明治初めの廃藩置県で行政拠点としての役割はなくなったものの、川港は昭和8年に荷揚場の拡張がなされて最盛期を迎えました。また、明治37年に武雄から祐徳稲荷神社に至る馬車軌道が施設され、これに伴い表通りの道幅が広げられましたが、山側の町家は曳屋で対応しました。
その後、鉄道網の整備が進むとともに海上運輸から鉄道輸送に移り、水害対策のために河川の流路が改修され、昭和52年に川港としての役割を終えました。塩田津は、長崎街道の宿場と川港という2つの機能をもとに栄えた商家町で、藩政期に遡る町割りや地割、街路、水路、居蔵造の町家といった歴史的・文化的財産を良好に継承しています。(現地案内板より)

塩田津11


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