うれしの茶発祥の地
1640年代に肥前白石在の郷士古村新兵衛が嬉野の地に入り、茶の栽培製茶を興しました。以来嬉野地方一帯に茶の生産が普及し、今日全国屈指の銘茶産地として知られるになりました。
所在地:佐賀県嬉野市
不動山の「大茶樹」は吉村新兵衛が植えたと伝えられ、国の天然記念物に指定されています。
嬉野茶発祥の地
うれしの茶の歴史は古く、永享12年(1440年)不動山に移住した陶工らは、自生する山茶を摘み自家用茶を製した。これがうれしの茶の始まりである。その後1504年この地に唐釜による中国式釜いり製茶技術が伝えられたという。
1640年代肥前白石在の郷士古村新兵衛がこの地に入り茶の栽培製茶を興した。以来この地方一帯に茶の生産が普及し、今日全国屈指の銘茶産地として知られるに至った。この度先人達のたゆまぬ努力、精進に心から感謝の意を表すと共に、地域の活性化とうれしの茶の限りない発展を祈念し、うれしの茶発祥地の碑を建立する。
平成4年3月 嬉野町長 大渡鐵郎 (碑文より)
うれしの茶の由来
嬉野茶の歴史は古く、永亨12年(1440年)平戸に渡来した唐人が不動山皿屋谷に居住して陶器を、焼くかたわら、自家用にお茶を栽培したのがはじまりといわれています。その後、永正元年(1505年)明の紅令民という人が南蛮釜を持ち込み、釜炒り茶の製法を伝授したことがきっかけとなって、嬉野茶550年の歩みが始まりました。霧の多い嬉野盆地を流れる清流と澄んだ空気、豊かな土地で生まれ育まれたものです。(現地案内板より)
嬉野茶の特徴
嬉野茶のルーツである釜炒り手揉み茶は約550年前の明時代に中国から伝来した製法そのままを現代に伝えています。釜炒り手揉み茶は三日月状の形を しており、保存変質が少なく、その味はカラッとした爽やかさを保ち、西欧化した現代人の食生活に最適です。嬉野茶はこの釜炒り手揉み茶と煎茶の長所を併せ 持った蒸製玉緑茶として生産され、古い歴史と新しい技術が優れた銘茶を造りだしています。(現地案内板より)
うれしの茶の美味しい飲み方
水道水は汲み置きして、カルキ臭を取ります。 お湯を沸かすときは、必ず一度沸騰させます。 茶質に合わせた温度に冷まし、湯を注ぎます。(現地案内板より)
日本茶の栽培は、1191年に臨済宗の栄西禅師が宋の国から持ち帰った種を、長崎平戸の千光寺と佐賀県の霊仙寺に播いたのが始まりと言われています。