肥前吉田焼 陶板
肥前吉田焼の製造過程や絵付けの風景が陶板に描かれていました。
所在地:佐賀県嬉野市吉田
肥前吉田焼の製造過程や絵付けの風景が陶板に描かれていました。
肥前吉田焼(ひぜんよしだやき)は佐賀県嬉野市にて焼かれる磁器です。歴史は非常に古く、天正5年頃に作られた陶磁器の破片が発掘されています。現在は11軒の窯元があり、嬉野温泉の発展に伴い観光客向けの食器を多数焼いています。
肥前吉田焼の歴史
嬉野の焼き物の歴史をひもとくと、天正5年(1577年)磁鉱石の発見によりはじまり、時代の波とともに一盛一衰を重ねながら長い歴史を歩んできま した。
寛永年間(1624から44年)藩主鍋島直澄が隠居後、その偉業として吉田山の陶磁器業を督励しました。享和年間(1801から1804年)に入る と、副島弥右衛門が制限外の窯数を増し、事業を拡張して吉田焼きの繁栄を促しました。しかし、天保の初年(1830年)頃には生産過剰になりしだいに窮地 に追いやられる格好となっていきました。
明治13年(1880年)吉田山に陶磁器会社「精成社」を設立し、改良を図りました。その後、市場を中国や朝鮮に向け輸出用として日用食器の製造に 励み成功しました。明治44年(1911年)には有田より技術者をむかえ、吉田焼も錦絵に成功。ますますその名声を高めていきました。しかし、時代の流れ と共に国内向けになり、現在に至っています。
現在の「肥前吉田焼」は15の窯元によって育まれ、陶工たちはそれぞれに個性あふれる作品を世に送り続けています。(現地案内板より)
陶土を運ぶ姿が描かれています。
ひとつの焼き物が出来上がるまでには、数えきれないほどの職人の手が関わっています。
原料となる土造り、陶土を漉している様子が描かれています。
土を練り、器を精製している様子が描かれています。
絵付けが終った器に釉薬をかけている様子が描かれています。
吉田焼を窯で焼いている様子が描かれています。
窯を冷やし、焼き上がった吉田焼を運び出している様子が描かれています。
吉田焼を天秤棒で運ぶ姿が描かれています。
肥前吉田焼窯元案内図
手ぬぐいと風呂桶
塩田川に架かる曙橋(あけぼのばし)には、大きなオブジェが飾られています。
曙橋平成19年3月竣工
風呂桶に、赤と紺の豆絞りの手ぬぐいが掛かっています。手ぬぐいには「ゆ」と書かれています。
肥前吉田焼
肥前吉田焼の大きな壺です。
嬉野茶
嬉野茶の大きな茶壷です。