太寧山 瑞光寺
瑞光寺は、約620年前に建立された、南禅寺派の禅宗寺院です。荘厳な雰囲気が漂っています。嬉野宿の本陣だった由緒あるお寺で、大名や長崎奉行やオランダ商館長などはここに宿泊しました。
佐賀県嬉野市下宿大字下宿乙1560
瑞光寺の本尊の薬師如来は運慶の作と伝えられています。
禅宗臨済南禅寺派 太寧山 瑞光寺 境内
瑞光寺創建:応安2年(1369年)時の領主・嬉野氏
開山:鎌倉巨福山建長寺の住職・石室善玖禅師
往時は、領内に多くの末庵を有した古刹です。
太寧山 瑞光寺(たいねいざんずいこうじ)
長崎街道嬉野宿本陣跡
本山は禅宗臨済南禅寺派に属し応安2年(1369年)時の領主嬉野氏、本寺を創建、相州鎌倉巨福山建長寺住職、石室全玖禅師によって開山、領内に17の末庵を建立したが現在は東林庵(湯野田)、慈眼庵(上不動)の2庵が残るのみである。
長崎街道嬉野宿には藩営の上使屋があったが手狭で破損もひどかったので、嬉野家没後は蓮池藩の保護を受け、明和2年(1765年)から文久2年(1862年)の98年間は長崎街道を往来する奉行の嬉野宿本陣として使用された。今も地蔵堂には当時を物語る藩の紋章が入った瓦が残っている。境内は四段に整備され、楼門を入れば老樹うっそうたる中、千古の歴史を秘めた寺堂に往時の隆盛が偲ばれる。本尊は木造の薬師如来で運慶の作と伝えられている。(現地案内板より)
瑞光寺 山門
山門には仁王像が安置されています。
山門には「太寧山」の扁額が掲げられています。
瑞光寺の仁王像
石造の仁王像ですが、表情がユニークです。ちょっと楽しげに見えてしまうのですが…。乳首が梅の花みたいでとっても可愛いです。普段見慣れている仁王像とは随分雰囲気が違います。とっても不思議な仁王像です。どなたが造られたものなのでしょう。説明等をみつけることができず、作者や年代もわかりませんでした。また、いつか訪れた時に住職さんに伺ってみようと思います。
瑞光寺の仁王像阿形
胸元の花飾りが可愛いです。
瑞光時の仁王像吽形
瑞光寺の境内になぞの石像を発見。小さな力士像のようなものが、塀を支えているようにみえます。顔と腕に全身の力を込めて、塀を押しているようにも見えます。これもどういう意味があるのでしょうか。作者はどなたなのでしょうか。謎のままです。
こちらの石造は手が折れてしまっています。
石像が並んでいます。
石像
その境内に23.5mもの大きなクスノキがあります。推定樹齢が800年という歴史がある巨木です。根元の周囲は8.6mもあります。ずんぐりとした太い幹、どっしりと根を張り、存在感がある大きなクスノキです。
瑞光寺のクスノキ
所在地:佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙1560
町指定天然記念物 瑞光寺のクスノキ
町指定第4号 指定日:平成10年11月10日
樹種:クス(クスノキ)漢名 楠または樟
樹齢:推定800年
形状:樹高:23.50m 根元周囲:8.60m
東西枝張:22.50m 南北枝張:20.50m
所有者:瑞光寺
クスはクスノキ科の常緑高木で関東以南に多くみられ、樟脳の原料でもある。瑞光寺は、室町時代に宇礼志野氏が建立した寺院で、現在地に移転の後江戸時代には長崎街道嬉野宿の本陣として利用されており、総門を入り山門の前に樹生するこのクスノキは、佐賀県の銘木古木にも登録され、推定樹齢800年は嬉野町の最も古い樹木のひとつであり、歴史的文化的に価値の高いものである。嬉野町教育委員会(現地案内板より)
石塔
巻物の形をした石塔です。
石橋
鬼瓦