西溝口跡
嬉野湯宿または嬉野湯町ともよばれ、宿場の東西端には街道に町木戸とよばれ、宿場の境界を示しこの場所を構口とよんでいました。
長崎街道 嬉野宿 西構口跡
所在地:佐賀県嬉野市嬉野町
構口(町木戸)
江戸時嬉野町は、平野部を蓮池支藩、同辺山地側を佐賀本藩が領有しており、長崎街道の通過する嬉野の宿場は、蓮池支藩の支配地でした。宿場は当時、嬉野湯宿または嬉野湯町ともよばれ、宿場の東西端には街道に町木戸とよばれ、宿場の境界を示しこの場所を構口とよんでいました。
構口の木戸は、東口が現在の和多屋別荘の本通入口付近と西口は大正屋入口前布巾に建てられており、宿場の長さは約500mで、平時は監視する人も扉もない木戸でしたが、変事のときは防御地点となる重要な役目を持っていました。
宿場内には、30軒余の旅籠、木賃宿や商家など百軒程のわら屋根の家が街道沿いに立ち並び、宿場の中央には、豊玉姫神社、その隣にお茶屋(上使屋)、人馬継立所、高札場等があり、嬉野川沿いには藩営の温泉浴場が設けられていました。また、長崎奉行などが宿泊する本陣は、街道から北へ約300m離れた瑞光寺が利用されていました。
平成10年3月 嬉野市(現地案内板より)
嬉野温泉湯豆腐の記念碑
西構口跡にあったのオブジェ(記念碑)です。
嬉野温泉湯どうふ
嬉野温泉湯豆腐の特徴は、地元嬉野で生産された大豆(むらゆたか)で造られた豆腐を、嬉野温泉水で煮込むほどに、鍋の中でとろけ出し、風味万感まろやかな舌触りに仕上がります。(現地案内板より)
嬉野温泉について
一、源泉の数:町内18ヶ所
二、泉質:重曹泉(ナトリウム炭酸水素塩泉)
三、温度:摂氏90度~95度
四、効能 飲用として:慢性胃腸、十二指腸潰瘍、過酸症、肝臓すい臓の活性化
浴用として:神経痛、筋肉痛、切り傷、火傷、慢性皮膚病、慢性夫人病、皮膚をなめらかにする作用があるため「美肌の湯」ともいわれています。(現地案内板より)
シーボルトと温泉湯豆腐発祥の地
東屋の先々代が明治の中頃、嬉野川(現在の古湯温泉付近)の水を使い豆腐を造り、川の近くより湧き出る温泉水を利用して美味で胃腸に良い温泉湯豆腐を造り始めました。
シーボルトゆかりのお茶の町、嬉野「古湯温泉」
オランダの外科軍医証さであったシーボルトはオランダ高館長の江戸参府に随行した際、嬉野温泉に立ち寄り藩主のみが使う温泉場(現在の古湯温泉)でくつろぎました。シーボルトが訪れた頃は、現在の古湯温泉が鍋島藩の温泉場であり、隣接する東屋は鍋島藩の「湯の番所」でした。当時この付近を「湯の場」と呼び、シーボルトはここで温泉玉子を食した記録が残っています。また、特産である「嬉野茶」もシーボルトによって嬉野町に伝えられました。
中央二枚の絵はシーボルトが江戸参府に随行し嬉野温泉を訪れた際、同行した絵師によって描かれた、鍋島藩の温泉場(現在の古湯温泉)です。中央に描かれた大楠は大正11年の大火事で焼失しましたが、燃え残った楠木で薬師如来像を彫り無病息災の「お湯の神様」として今でも東屋の横に祀られ町民に崇められています。この薬師如来を御祀りした事がきっかけとなり、8月11~12日嬉野薬師夏祭り(花火大会)が始まり長い間受け継がれています。東屋でも薬師様にあやかり名物の温泉湯豆腐に「嬉野薬師湯の湯豆腐」と名付けました。(現地案内板より)
※現在の古湯温泉と表記されている場所は、現在のシーボルトの湯です。シーボルトの湯は、古湯温泉があった場所に平成22年(2010年)年4月1日にオープンしました。