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嬉野古湯温泉の歴史

嬉野古湯温泉は、江戸時代藩営の浴場でした。明治9年に民間の共同出資により、嬉野温泉場が近代的建物になりましたが、大正11年1月の大火で焼失しました。大正13年8月に大正浪漫ゴシック建築の古湯温泉が公営浴場として建築されました。平成8年9月に閉鎖され、平成17年6月に解体されました。平成22年4月1日に、シーボルトの湯として営業が再開されました。

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大正13年建設当初の古湯

こちらの絵に描かれているのは、大正13年建設当初の古湯温泉です。

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平成17年6月 解体10日前の写真

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嬉野 古湯温泉の歴史

嬉野町が温泉街として栄え始めたのは、江戸時代、長崎街道の嬉野宿と湯治場でもある宿場が整えられてからといわれ、温泉の泉源が豊玉姫神社から佐賀蓮池藩に召し上げられ、藩営の浴場となった。この藩営の浴場だったのがここ古湯の地である。
明治初め:藩政改革により宿場役人から民間に移管、町民が利用することになる。
明治9年:民間の共同出資により嬉野温泉場(古湯温泉)が近代的建物となる(3ヶ年)
大正11年1月:温泉街に大火発生。古湯温泉を含む旅館など60戸焼失。
大正13年8月:ドイツ人が設計したといわれる大正ロマンゴシック建築の古湯温泉が公営浴場として建設される。
平成8年9月:閉鎖
平成17年6月:解体
嬉野温泉古湯が公衆浴場として、一日も早く再建されることを祈念しつつ模型を作製しました。
平成18年2月 嬉野市嬉野町下岩屋三区 小野原英雄(現地案内板より)
※この案内板は、2008年2月16日に嬉野温泉を訪問した際に掲げられていたものです。以前古湯温泉があった場所には、平成22年4月1日にこの模型のイメージ通りの建物が建ち、シーボルトの湯が開業しました。

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嬉野温泉古湯の模型

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嬉野温泉の起源

昔、神功皇后が西征の帰りにこの地に立ち寄られ、川中に舞い降りた白鶴が疲れた羽を浸した後、元気に旅立つ様子をご覧になり、戦いで傷ついた兵士をその川に入れたところ、温泉が湧いていて、兵士の傷が癒えたそうです。神功皇后がそれを喜ばれ「あな、うれしいの」とおっしゃったことが、嬉野の地名の起源と伝えられています。
また、和銅7年に記された肥前風土記には「万病の病を治す名湯」として嬉野の名が記されています。

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