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嬉野温泉 温泉街

嬉野温泉は、日本三大美肌の湯のひとつです。嬉野川清流沿いにある高温で湯量豊富な泉源を有する温泉です。

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所在地:佐賀県嬉野市
嬉野温泉街には、温泉宿、旅館、立ち寄り湯など、30以上の温泉施設があります。
嬉野温泉は、日本三大美肌湯のひとつです。ナトリウムを多く含む重曹泉(ナトリウム炭酸水素塩水)で、角質化した皮膚をなめらかにする効果があるので、温泉に浸かると、やわらかい温泉が肌を優しく包んでくれます。少しぬるっとした感じで温泉に入っている時もつるつるすべすします。湯上りにはしっとりもちもちつるつるすべすべの肌になります。『肥前風土記』(713年)には、「東の辺に湯の泉ありて能く、人の病を癒す」と記されている歴史がある温泉地です。

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因みに日本三大美肌の湯とは、佐賀県嬉野市の嬉野温泉(ナトリウム炭酸水素塩泉)と島根県仁多郡奥出雲町の斐乃上温泉(アルカリ性単純泉)と栃木県さくら市喜連川の喜連川温泉(含硫黄-ナトリウム・カルシウム-塩化物泉)の三つです。

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川沿いにホテルや温泉宿が並んでいます。

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嬉野の地名の起源

昔、神功皇后が戦いの帰りにこの地に立ち寄られ、川中に白鶴が疲れた羽を浸した後、元気に旅立つ様子をご覧になり、戦いで傷ついた兵士をその川に入れたところ、温泉が湧いていて、兵士の傷が癒えたそうです。神功皇后がそれを喜ばれ「あな、うれしいの」とおっしゃったことが、嬉野の地名の起源と伝えられています。

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的場渡跡

江戸時代、嬉野宿近くの道路は宿場を南北に貫通する長崎街道と、これに直角に交わる瑞光寺~藩営浴場間の道路だけだった。嬉野川の東西を結ぶ橋は無く、宿場から東へ渡る方法しかなかった。橋が架けられた後も、明治20年代まで残っていた。(現在の大村屋附近)(現地案内板より)

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旅館大村屋跡

旅館大村屋(伊能忠敬本陣跡)
江戸時代中期以後の旅館大村屋は、藩営浴場のすぐ前にあり入浴には便利、嬉野川に面して景色もよく、川中の湯煙もよく見える最良の場所であった。
戯作者文人の太田南畝(1749年~1823年)もここで作詞をし、日本で初めて実測による地図を作った伊能忠敬(1745年~1818年)一行もここを本陣とした。(現地案内板より)

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旅館大村屋は、創業天保元年の老舗旅館です。江戸時代、長崎奉行や諸大名が宿泊するときは、本陣として臨済宗の瑞光寺が利用され、大村屋は脇本陣だったといわれています。

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十月桜

現在のシーボルトの湯(旧古湯温泉跡)の近くに咲いていました。十月桜の花は中輪で八重咲きで淡紅色です。開花期は4月上旬と10~12月頃です。10月頃から咲き始め、翌春にも咲く、年2回花を咲かせる桜です。小ぶりの楚々とした花が可愛いですね。

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嬉野温泉 ホテル桜

所在地:佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙1021
アトリウムロビーにある四季の滝のスクリーンには、日本の四季を代表する花々が次々に浮かびあがります。最上階には嬉野の街並みを一望できる展望大浴場、自然の風情を取り入れた露天岩風呂があります。

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