武雄神社
神功皇后が三韓征伐の帰途、武雄に兵船を止め、それが御船山に化したとあります。これにより同行していた住吉神と武内宿禰が御船山の南嶽(船の艫)に鎮座し創祀されたと伝えられる神社です。
所在地:佐賀県武雄市武雄町大字武雄5335
御祭神:武内宿禰・武雄心命・仲哀天皇・神功皇后・応神天皇・五柱の神を総じて武雄大明神と号します。
主祭神である武内宿禰は、政治を補佐する大臣として第12代から第16代までの5代の天皇に仕え、実に360歳を誇る日本一長寿の神様として知られています。更に武運長久、開運、厄除けに霊験あらたかな神様としても信仰があります。
天平7年(735年)の創作で、源頼朝が戦勝祈願のために使者をつかわした古文書が残る由緒ある神社です。
秋の例祭では流鏑馬(やぶさめ)を10月後半に奉納します。
武雄神社の裏手に武雄の大楠があります。
武雄神社ご案内
武雄神社の創建は、武雄社本紀によれば、遠く奈良時代の天平7年(735年)となっています。祭神は武内宿祢を主神とし仲哀、応神両天皇、神功皇后武雄心命を併祀して、五社大明神とも称し往時の九州の宗社として、隆々と栄えた時代もありました。
神社に保存されている古文書218通は国の重要文化財に指定され最古のものは、天歴5年(951年)社領を記した「四至実検状」で佐賀県でも一番古く朝廷の実検使が送ったものであります。その他伏見天皇のご綸旨や源頼朝の御教書をはじめ平安、鎌倉、南北朝、室町時代における貴重な文献でもあります。
神社の大きな行事として、2月17日歩射祭(びしゃまつり)、10月22日、23日秋まつり、お供日行事として「宵の祭(えいのまつり)」と流鏑馬(やぶさめ)が行われます。第一、第三鳥居は肥前鳥居と称し、その型式が肥前の国独得のものでもあります。武雄市観光協会(現地案内板より)