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武雄温泉新館浴室

武雄温泉楼門の奥には、武雄温泉新館があります。新館1階には浴室が復元されています。

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所在地:佐賀県武雄市武雄町大字武雄7425
上棟:大正3年8月末日
落成式:大正4年4月12日
構造:木造瓦葺き一部二階建
延べ床面積:約575平方メートル
一階:398平方メートル
二階:177平方メートル
設計者:辰野金吾博士(佐賀県出身)葛西萬司博士(岩手県出身)
工事:清水組(現:清水建設株式会社)
国重要文化財 平成17年7月22日指定

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武雄温泉新館 五銭湯浴室 男湯側

タイル貼りの浴槽と浴室です。

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温泉マーク

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武雄温泉新館の温泉マーク

この温泉マークは最初は武雄温泉楼門に、後では温泉新館に取り付けられていたものです。確認できませんが、昭和50年2月の写真では楼門に取り付けられています。温泉マーク(おんせんマーク)又は温泉記号は、地図(地形図を含む)において温泉の位置を示す地図記号です。又それが拡張されて公衆浴場施設を示す記号にも用いられるようになりました。(現地案内板より)

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温泉マークは、形から俗に「逆さクラゲ」と呼ばれることもあります。

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武雄温泉新館 男性用大浴場

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現在は足湯として使用されています。

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武雄温泉新館 五銭湯浴室 男湯側

天井面の湯気抜き塔は不等辺八角形で相輪を付けた外観は一種独特の雰囲気を創り出しています。腰タイル(角ばったタイル)は工業化された工場施設で生産されたタイルとしては日本で最初のもので佐賀県有田町の製品です。平成10年十銭湯とともに倒壊しました。復原は、女湯側を基に進めました。(現地案内板より)

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湯気抜き塔内側

天井面の湯気抜き塔は不等辺八角形です。

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八角湯気抜き塔内側

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照明器具

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レトロな照明器具

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浴室の蛇口

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レトロな水道の蛇口

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蛇口

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女性用大浴場

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武雄温泉新館殿様の湯と上々湯

大正15年、佐賀県での陸軍大演習に合わせ、それまでの特別休憩室呼ばれていた部屋を改造し、特別貴賓室の浴室として増改築されました。浴槽のタイル(有田焼)には、日本の四季の草花が描かれ、現在の技術をもってしても感動する匠の技が見られます。洗い場のタイルは、マジョリカタイルと呼ばれるもので東京赤坂離宮にも採用され、現在では生産されていな貴重なものです。浴室浴槽タイルには、「佐賀縣西松浦郡有田町 陶磁器及び御品 製造業者 辻製造所」と記されていました。(現地案内板より)

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洗い場のタイル

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湯船の底のタイル

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湯船

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武雄温泉と宮本武蔵

巌流島での佐々木小次郎との決闘後、武蔵は武雄温泉の平戸屋(現・東洋館)に滞在・逗留したと伝えられており、その際に使用したという井戸が残されています。武蔵が武雄に逗留しているときに、多久の農民静馬という若者が訪ねてきて、佐賀城下で父親が武士に殺されたので仇を討ちたいと修行の申し出をしました。武蔵は快く受け、熊本に連れて行き、武芸を教え、5年後に見事本懐を遂げたという伝説があります。(真名子磯夫『武雄の伝説』)武蔵が武雄を訪れたのは、敵討ちに関連した武蔵晩年のことで、熊本に招かれた寛永17年(1640年)頃のことと推測されます。(現地案内板より)

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八角形の屋根

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天井面の湯気抜き塔は不等辺八角形で相輪を付けた外観

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男性用トイレ

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特別貸切湯

大正15年、佐賀県での陸軍大演習に合わせ、それまでの特別休憩室と呼ばれていた部屋を改造し、特別貴賓室の浴室として増改築されました。浴槽の陶板タイル(有田焼)には、日本の指揮の草花が描がかれ、現在の技術をもってしても感動する匠の技が見られます。
洗い場のタイルは、マジョリカタイルと呼ばれるもので東京赤坂離宮にも採用され、現在では生産されていない貴重なものです。

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マジョリカタイル

タイルには、桃やボタンを描かれていました。


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