名護屋城跡並びに陣屋跡
16世紀末豊臣秀吉によっておこされた、文禄・慶長の役の際の出兵基地となったのが、肥前名護屋城でした。名護屋城の周囲約3kmの圏内に約120もの陣屋を築きました。それらは鎮西町を中心に呼子町、玄海町まで広がっていて、今でもその半数に石垣や土塁等が残っています。
所在地:佐賀県唐津市鎮西町名護屋
文禄・慶長の役に際し築かれた名護屋城は、全国諸大名160名が集結し、当時の大阪城に匹敵する規模でした。名護屋城博物館の眼前に広がる石垣は、その当時の様子を物語っています。
名護屋城は約17ヘクタールの広さがあり、天正19年(1591年)10月10日から黒田孝高・加藤清正ら西国大名によって工事が行われ、翌年の春には本丸を中心とした主要部分は完成したといわれています。その後、東国大名が名護屋城に着陣して工事を引き継ぎ、城が出来上がりました。
大正15年(1926年)に、名古屋城跡並陣屋の名称で国史蹟に指定されました。昭和30年(1955年)には、特別史跡に指定されています。現在指定を受けているのは、鎮西町17ヶ所と呼子町5ヶ所と玄海町2ヶ所の合計24ヶ所です。
鎮西町:名護屋城跡、島津義弘陣跡、上杉景勝陣跡、九鬼嘉隆陣跡、福島正則陣跡、加藤清正陣跡、豊臣秀保陣跡、堀秀治陣跡、前田利家陣跡、小西行長陣跡、徳川家康陣跡、鍋島直茂陣跡、古田織部陣跡、片桐且元陣跡、木下延俊陣跡、木村重隆陣跡、生駒親正陣跡
呼子町:黒田長政陣跡、加藤嘉明陣跡、毛利秀頼陣跡、徳川家康別陣跡、伊達政宗陣跡
玄海町:木下利房陣跡、長谷川秀一陣跡
錚々たる面々に驚きます。大河ドラマができそうです。
馬場
大手口前井戸
名護屋城博物館の少し手前の坂の途中にあります。
大手口前井戸の概要この井戸は、東側に隣接する石敷き遺構と南東方向に延びる2本の石組溝遺構を伴っています。これは隣接する駐車場建設のための事前発掘調査で見つかりました。城内にはこの他6箇所の井戸が残っています。井戸の深さは約1.6mと浅いものの、地下水脈に重なっているのか、調査後しばらくは水が湧きだしていました。この井戸から、朝鮮通宝や石臼、曲げ物などが見つかり、当時の生活を探る手がかりとなりました。(現地案内板より)