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佐賀県立名護屋城博物館

名護屋城博物館は、名護屋城跡と全国の大名の陣屋の広大な遺跡の保存整備事業の中核施設として、日本列島と朝鮮半島との交流の歴史を調査・研究・展示紹介しています。

名護屋城博物館1

所在地:佐賀県唐津市鎮西町名護屋1931-3
開館時間:9:00~17:00
休館日:月曜日(休日の場合翌日)・12/29~12/31
入館料:無料
但し、企画展期間中は有料になることもあります。
駐車場:無料・大型バス7台 普通車63台・身障者用駐車場3台
バリアフリー設備:身障者対応トイレ(1階・2階)・2階はオストメイト対応、貸出用車いす4台、貸出用ベビーカー2台

名護屋城博物館3

名護屋城博物館の常設展示では、原始・古代から近現代にいたる日本列島と朝鮮半島との交流の歴史をメインテーマとした展示を行っています。

名護屋城博物館2

1階は、エントランスホール、ホールロビー、ホール(500席)、ミニシアター、ビデオコーナー、図書閲覧室、事務室、研究室があります。2階は、展示室ロビー、常設展示室、休憩コーナー、企画展示室があります。屋外には木下延俊陣跡があります。

名護屋城博物館4

名護屋城博物館の常設展示は、「日本列島と朝鮮半島の交流史」を主題として掲げ、双方の友好関係を一時遮断させた文禄・慶長の役(壬辰・丁酉倭乱:1592年~1898年)と、舞台となった特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」について、その歴史的位置づけを明らかにすることを主要な目的としています。(名護屋城博物館パンフレットより)

名護屋城博物館5

名護屋城博物館では、特別史跡「名護屋城跡並びに陣跡」の調査・保存・活用などの活動をしています。また、城郭と日本列島と朝鮮半島の交流史に関する資料の収集・保管・調査・研究・展示・普及活動もしています。さらに交流史研究を主体とする国際芸術・文化交流事業を中心的な活動の内容としています。

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名護屋城博物館7

名護屋城博物館8

名護屋城博物館 踊り場は、ガラス張りになっていて、庭が見えます。広々とした感じで気持ちがいいです。ガラスの向うの屋外に出ることが出来ます。屋外には、木下延俊陣跡があります。

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名護屋城博物館11

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木下延俊(きのしたのぶとし)は、天正5年(1577年)に木下家定の三男として生まれました。豊臣秀吉の正室ねね(北政所・高台院)の甥にあたります。当時の所領は、播磨三木郡の内2万石でした。その後の関ヶ原の戦いの時は東軍につき、その功績により慶長6年(1601年)、豊後速見郡日出城主として3万石の封を得、寛永19年(1642年)に66歳で没しました。延俊の後、木下氏は転封もなく、日出藩主として幕末まで16代続きました。(佐賀県立名護屋城博物館資料より)

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チャンスン

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踊り場の左手にチャンスンを飾っていました。
チャンスン(本館蔵) 宋星鎮氏(全羅南道海南郡在住)制作
韓国の伝統的な民間信仰の一つで、木製のほか石製のものもあり、全国的に分布している。村や寺院の入口や端に立て、外部からの災厄除けとする一種の守護神としての機能と、村の境界線・里程標としての機能を併せ持っている。(現地案内板より)

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トルハルバン

張公益(チャンコンイク)氏制作
韓国済州道独特の伝統的な石人像です。朝鮮半島本土のチャンスンと同様に、邪悪なものを避ける一種の守護神として建てられていました。頭巾型の頭とユニークな顔立ち、上半身の腕と手以外が省略された姿は、石チャンスンなどの石像とよく関連付けられています。
また、胸の前に手を置く様子は韓国本土の石仏と類似しており、その影響を受けたことが考えられます。「トルハルバン」の名称は、「石のおじいさん」という意味の済州道の方言であり、1970年代に付けられました。それ以前は「ウソンモク」「ポクスモリ」などと呼ばれていたそうです。(現地案内板より)

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韓国の人形

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韓国の人形

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韓国の人形

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トルハルバン

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からわん君

祝 唐津城築城400年 からわん君がいました。有田焼の風鈴も飾られていました。

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有田焼の風鈴

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