九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

奥村五百子像

幕末から明治の時代を生き抜いた社会運動家であり、愛国婦人会の創立者です。

奥村五百子1

所在地:佐賀県唐津市東城内
奥村五百子(おくむらいおこ)は、佐賀県唐津市の東本願寺派の僧の娘として生まれました。幕末から明治の時代を生き抜いた社会運動家であり、愛国婦人会の創立者です。
(弘化2年(1845年)5月3日~明治40年(1907年)2月7日)

奥村五百子2

1901年に愛国婦人会を発起しました。愛国婦人会は、明治34年(1901年)に、傷痍軍人の慰問・救護を目的として設立されました。以後、組織づくりに奮闘し同会を飛躍的に発展させました。

奥村五百子3

社会活動家・愛国婦人会創設者
弘化2年(1845年)当地高徳寺生まれ・明治40年(1907年)没 享年61歳
父は京都公家出身の真宗大谷派釜山海高徳寺の住職奥村了寛で、その影響を受けて尊王攘夷運動に参加する。
18歳の文久2年には、男装で長州藩への密使を勤めたこともあった。また朝鮮半島に渡って光州に実業学校を創設し、浄土真宗布教のため半島に渡った兄円心を助けた。
北清事変(義和団事件)後、兵士慰問や救護、遺族支援の必要性を訴え、明治34年(1901年)、わが国最大規模の婦人団体愛国婦人会を創設した。この間、政官界との人脈を生かし旧松浦橋架橋、唐津鉄道、唐津港湾開発等に多大な貢献をした。
60歳の時、健康すぐれず帰郷、翌年満61歳の生涯を閉じた。
銅像が地元婦人団体の寄付によって建立され、遺品は小笠原記念館・唐津城・高徳寺に保存されている。
平成28年5月 一般社団法人 唐津観光協会(高徳寺の案内板より)


佐賀一覧

  佐賀  唐津  武雄・嬉野  有田・伊万里
  鳥栖・三養基郡   多久・神崎  えびす