唐津市近代図書館
唐津市の図書館で、図書・雑誌等の収集・整理・提供を行っています。
所在地:佐賀県唐津市新興町23番地
開館時間:10:00~19:00
休館日:毎週月曜日・毎月第1水曜日(館内整理)・祝日(祝日と第1水曜日が重なる時は第2水曜日が休館)・特別整理日(10/1~10/10)・年末年始(12/29~1/3)
※美術ホールの特別展示中は、ホールのみ開館のことがあります。
南極の石
平成3年9月22日 砕氷艦しらせ艦長より寄贈
松浦佐用姫
宗田
辰野金吾像
宗田源造作
辰野金吾
辰野金吾は、安政元年(1854年)唐津藩士姫松倉右衛門の次男として唐津城下坊主町に生まれ、14歳で同じ藩士辰野宗安の養子となる。明治3年(1870年)に唐津藩の英語学校耐恒寮で若き高橋是清に学び感化を受ける。明治6年(1873年)19歳で工部省工学寮(現在の東京大学建築学科)に入学、英国人建築家ジョサイア・コンドルに教えを受け、首席で卒業する。その後、明治13年(1881年)25歳でロンドン大学に留学し、帰国後は工部大学校教授、新設の工科大学教授の後、学長となる。さらに建築学会会長等を歴任し、日本の近代建築学会の中心的存在となる。
辰野の主な作品は、日本の近代洋風建築の代表的な「日本銀行本館」(明治29年)、「東京停車場(東京駅)」(大正3年)がある。
唐津市内には、現存していないが、旧唐津市小学校の設計を成し、旧唐津銀行本店も辰野の指導の下に、弟子田中實によって設計された建築物が現存している。
辰野の建築物は「辰野式」とか「辰野風」と呼ばれる「壁面の赤と白の対比」と、「面の分割」が美しいフリークラッシックと呼ばれる華麗な様式である。
このようにわが国の明治期の建築界を創設し、代表的な建築物を設計した辰野は大正8年(1919年)、国会議事堂の競技設計の最終選考の後、後事を同郷の曽禰達蔵博士に託し、66歳の生涯を閉じた。
また、この像は四百年の歴史と伝統を持つ唐津焼のひもづくり技法により、約6ヶ月の日数をついやして唐津焼中野窯四代中野陶痴氏が創作したものである。
唐津レインボーライオンズクラブ結成二十周年記念事業として寄贈 2000年2月吉日(現地案内板より)
曽禰達蔵像
曽禰達蔵
曽禰達蔵(そねたつぞう)建築家
安政3年(1856年)~昭和12年(1937年)
江戸の唐津藩邸に生まれたが、のち唐津に帰って志道館に学び藩英語学校で勉強した。明治6年工学寮に入り、12年工部大学造家学科を卒業。14年には工科大学助教授に補せられ、20年には呉鎮守府並に佐世保鎮府の設計建築委員となった。26年東京帝国大学より米国へ出張、鉄道家屋の調査に千年した。34年三菱岩崎社長に随行イギリス建築を視察、39年三菱の建築顧問となり、自ら東京に建築事務所を開設した。東京海上ビル旧新館、日本郵船ビル、慶應義塾図書館など明治大正期の日本の代表的建築を手掛けた。(現地案内板より)