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清涼山 浄泰寺

唐津初代藩主寺沢志摩守の菩提所として、天正2年(1574年)に開創されたお寺です。

浄泰寺1

所在地:佐賀県唐津市弓鷹町1494
浄土宗、清涼山と号す。本尊阿弥陀如来は恵心僧都の作、四百年以上も昔に比叡山から遷座っした霊仏である。当山は唐津初代藩主寺沢志摩守の菩提所として、天正2年(1574年)に開創された。浄泰寺の寺号は、父の戒名に因んでつけられる。徳川時代はいわゆる朱印寺で末寺もあったという。この総欅本堂は昭和10年の再々建である。  この浄泰寺には、地獄極楽の絵図(市指定重要有形民俗文化財)と安田作兵衛の墓があります。
 地獄極楽図は、延宝5年(1677年)、狩野派絵師の宗信の作で、左右二幅からなっており、毎年8月16日に開帳されます。左幅には、阿鼻地獄、叫喚地獄、焦熱地獄、衆合地獄、黒縄地獄など地獄のありさまがリアルに描いてあります。右幅には、地獄などのほか、中央部に亡者を救いとる地獄菩薩、その右方最上部に極楽からお迎えの阿弥陀如来が描かれています。
 安田作兵衛は明智光秀の重臣の一人で、本能寺の変において森蘭丸を斬りふせて、織田信長に槍をつけ、最高の光明をたてました。流浪の生活のすえ、その武勇が初代唐津藩主寺沢志摩守の耳に入り、その客分として召し抱えられ、天野源右衛門と改名し唐津で没したといわれます。織田信長を刺したといわれる寺宝の槍は、現在唐津城に展示されています。唐津市(現地案内板より)


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