葉隠発祥の地
山本常朝が元禄13年(1700年)に、金立町に隠棲した場所です。
所在地:佐賀県佐賀市金立町大字金立黒土原
二代佐賀藩主鍋島光茂に仕えた山本常朝は、光茂が没した元禄13年(1700年)に、金立町に隠棲しました。宝永7年(1710年)に、同藩士田代陣基が常朝を訪れ、武士の心構えや生き方などを聞き、これを筆録したものが「葉隠」又は「葉隠 聞書」です。その傍らに光茂夫人が亡夫追善のため建立した千部経塔が建っています。その東側には常朝の偉業を偲び「常朝先生垂訓碑」が建立されています。
葉隠発祥の地
佐賀史跡 昭和42年2月11日指定
現在、この地には、葉隠の口述者山本常朝が隠棲した朝陽軒(のち宗寿庵)等の遺構は残っていない。
元禄13年(1700年)山本常朝は、佐賀藩2代藩主鍋島光茂死去のため落髪出家してこの朝陽軒に隠棲した。10年を経て同藩士田代陣基が自己修養のため、ここを訪れ教えを請い、のちの大小隈と合わせて7年にわたり、その教訓を中心に筆録したのが「葉隠」11巻である。
常朝先生垂訓碑は、昭和10年(1935年)10月に建立されたもので、この碑銘は武富時敏の書であり、常朝をたたえた碑文は西村謙三の撰、中島雅明の書である。また碑石の背面には、有名な「憂世から何里あろうか山桜」「白雲や只今花に尋ね合ひ」の句が誌されている。(現地案内板より)
「葉隠」は、江戸時代中期頃に記された武士の心得書です。「武士道とは死ぬことと見つけたり」という言葉が特に有名です。
この坂道を登ったところに石碑があります。
石碑
葉隠(はがくれ)
葉隠は、佐賀藩に仕えた山本常朝(万治2年(1659年)~享保4年(1719年)が、出家後公はの藩士、田代陣基に足かけ7年に渡って語った言葉を、陣基が丹念に記録し、纏め上げた鍋島侍の武士道書です。
全11巻、1343項にのぼり、「葉隠精神」といえば、愛国主義と蛮勇の教えのようにも受け止められていますが、勇ましい教訓ばかりでなく、さまざまな処世や知恵や人生訓などが述べられています。
代表的な処世訓に次の四誓願があります。
一、武士道に於いておくれ取り申すまじき事
一、主君の御用に立つべき事
一、親に孝行仕るべき事
一、大慈悲を起こし人の為になるべき事
弘学館
葉隠発祥の地のずっと山手の方に、弘学館が見えました。