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高橋

長崎街道八戸町の西の端、深町井樋に架かる橋です。

高橋1

髙橋(旧高橋)

所在地:佐賀県佐賀市八戸町
長崎街道八戸町の西の端、深町井樋に架けられた橋が高橋です。現国道207号線の新高橋と街道筋の旧高橋は50m程離れ、平行に架けられています。旧高橋は慶長年間、佐嘉城下町建設のときに架設されました。

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旧高橋は、「髙橋」、新高橋は「新高橋」と表記されていました。髙橋は、木の橋です。新高橋は、コンクリート製の橋です。所謂ノコギリ型の町並と言われる、正親町の街道から旧高橋にさしかかる鍵型の辻路は、嘉瀬方面から押し寄せる敵勢を本庄江でくい止めるために作られたと伝えられています。
髙橋の名前の由来は、本庄江を航行する船の往来を便利にするため、橋桁を高く持ち上げ、船の帆柱や竿が支障なく通るようにしたことと云われています。

高橋3

江戸時代まで高橋の市場には集散する船の積荷で賑わっていました。
一(市)は高橋、二(荷)は牛津、三(産)は泰順、四(詩)は安道、五(碁)は但馬、六(禄)は諫早、七(質)は成富、八(鉢)は皿山、九(句)は十方庵という数え歌が残っています。数え唄の「九(句)は十方庵」というのは、江戸期の俳諧に影響力を持った観照院住職「十方庵雲在坊」のことです。
高橋周辺は市として栄え、瓦屋、かまぼこ製造業、元結紙製造屋などが軒を連ねていたそうです。往時は大変賑わっていたのでしょう。

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新高橋

所在地:佐賀県佐賀市八戸2丁目7
新高橋は、髙橋(木の橋)の南側、国道207号線に架かる橋です。昭和9年(1934年)に、道路開通に合わせて架けられました。橋の欄干に「平成元年10月竣工」と記されていましので、平成元年10月に現在の状態になったようです。お花のモチーフなどをあしらっています。

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新高橋の近くに見えるお店は、高橋餅本舗福屋です。名物の高橋餅がもちもちしていて、こしあんでとっても美味しいです。

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佐賀城下長崎街道西の入口

所在地:佐賀県佐賀市八戸
長崎街道佐賀宿は、東の入口「構口」から佐賀城を避けるように右折左折しながら、西の入口「高橋」まで約5㎞あります。髙橋の近くです。
松並木があり、往時を偲ばせる雰囲気があります。シーボルトもこの道を通ったと云われています。

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佐賀城下長崎街道西の入口

八戸町の西の端、深町井樋に架けられた橋が高橋で、現国道207号線の新高橋と街道筋の旧高橋は50m程離れ、平行に架けられている。旧高橋は慶長年間、佐嘉城下町建設のときに架設されたといわれています。正親町の街道から旧高橋にさしかかる鍵型の辻路は、嘉瀬方面から押し寄せる敵勢を本庄江でくい止めるために作られたと伝えられる。高橋は本庄江を航行する船の往来を便利にするため、橋桁を高く持ち上げ、船の帆柱や竿が支障なく通るようにしたため、その名が起こったと言われている。江戸時代まで高橋の市場には集散する船の積荷で賑わっていた。
一(市)は高橋、二(荷)は牛津、三(産)は泰順、四(詩)は安道、五(碁)は但馬、六(禄)は諫早、七(質)は成富、八(鉢)は皿山、九(句)は十方庵という数え歌のように、高橋周辺は市として栄え、瓦屋、かまぼこ製造業、元結紙製造屋などがあった。(現地案内板より)

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