北面天満宮
六座町の守護神である神社です。古い石造りの肥前鳥居があり、棟門には河童の木像が掲げられています。
肥前鳥居
所在地:佐賀県佐賀市六座町1
御祭神:菅原道真
北面天満宮を守り神とした六座町は、佐賀城下で最も古い町です。鉄砲座、金銀座、木工座、煙硝座、縫工座、穀物座の六座から名づけられました。町の中央にある北面天満宮は、蛎久の天満宮から分かれたもので、北を向いているのでこう呼ばれます。
古い石造りの肥前鳥居があります。この肥前鳥居は、明暦4年(1658年)の銘が刻まれています。棟門には河童の木像が掲げられていました。拝殿の左手前には、古い恵比須像や庚申塔が並んでいました。
北面天満宮と六座町の由来
北面天満宮は、むかし鍋島町蛎久が肥前の国府であった頃、市場に鎮座の一国一社の天満宮を佐賀城下の町造りの際、鍋島直茂が蛎久の市場と共に移してしまった。
当時蛎久で神社の諸事を司っていた天徳寺住持、竹庵西堂は藩主の命を受け豪族右近刑部その他有力な人々とともに天正3年11月25日(1575年)神霊をこの地に移して祀り現在に至っている。以来天満宮は文教の守護神として又、火災除けの神として住民の崇拝厚くその実りとして六座町には今日まで大火災はないと言われている。
現在の神殿は貞亨3年(1686年)製作され元禄15年(1702年)改築されたものである。又、所蔵の太鼓橋は慶長11年(1686年)製作され石の鳥居は明暦4年(1658年)の建立となっている。
六座町の名は蛎久から天満宮とともに市場が移されたとき穀物座、木工座、金銀座、縫工座、煙硝座、鉄砲座の六つの座ができたことから由来している。六座町は佐賀城下で一番古い歴史を持った町で、市場発祥の地として長崎街道佐賀城下の繁華街であった。(現地案内板より)
神門の龍の彫刻
神門の龍の彫刻
河童らしき木像
棟門には水神の河童の木像が掲げられていますが、川に子どもが落ちて、おぼれているのをこの河童が飛び込んで助けたということで、それ以来、河童は棟門の上から下の流れを見下ろして番をするようになり、川に落ち込む子どもがいなくなったという言い伝えがあります。
句碑
「乾坤の息づき 星の瞬ける 南鴎(なんおう)」 の句碑がありました。
吉田南鴎 名・藤一。明治24年6月5日生 佐賀市六座町(北面天満宮前)住人
米穀商を営む 青木月斗の髙弟
佐賀同人俳句会主宰者 昭和27年7月7日歿(碑文より)