佐賀のクリーク
佐賀平野の中に流れるいくつもの広い水路はクリークとよばれ、地域の農業を支える大切な役割を果たし、洪水から人々の生活を守りました。
佐賀市内を散策していると、あちこちに水路があり、たくさんの橋が架かっていました。
「佐賀平野には、縦横に走る用排兼用水路と水を貯める機能をもったクリークがあります。これらの治水事業の基礎は、今から約400年前、水の神様と呼ばれた佐賀藩の武将、成富兵庫茂安がつくったと云われています。」と佐賀観光ボランティアの方が教えて下さいました。
有明海の干満の差を利用して、少ない水を融通し、効率的に使う仕組みの基礎や治水事業を江戸時代に既に行っていたというのは、すごいです。そして今もそれらの治水事業の恩恵を授かっているのですから、成富兵庫茂安が水の神様と呼ばれるのも頷けます。
クリークの一番大きな役割は、稲作用の水を確保することです。平野を流れている嘉瀬川やその支流である多布施川だけでは農業用水としての水の量が足りないため、雨が多い時期に余った水をクリークに貯め込んで、雨が少ない時期に使います。
もうひとつの大きな役割は洪水の時に、農地や集落が浸水しないように、溢れる水を溜め込むことです。
成富兵庫茂安の治水事業は田畑を潤し、洪水から人々の生活を守りました。その自然に逆らわない水利技術は今も高く評価されています。成富兵庫茂安は、みやき町の白石神社に水の神として祀られています。