弘道館記念碑
佐賀藩の藩校「弘道館」の跡地を示す記念碑です。
所在地:佐賀県佐賀市松原2-5-22
弘道館は、佐嘉神社の近くの徴古館の横に、佐賀藩の藩校「弘道館」の跡地を示す記念碑が建っていました。当時の弘道館の敷地はかなり広く、この記念碑より西側に校舎があったそうです。
佐賀と水戸と但馬にも弘道館があり、天下三弘道館と呼ばれ、優秀な人材を多く輩出しています。佐賀弘道館出身者には、明治新政府で活躍した副島種臣、大木喬任、大隈重信、佐野常民、江藤新平、島義勇などがいます。
弘道館記念碑
佐賀藩の藩校は「弘道館」(学館)といい、八代藩主鍋島治茂が天明元年(1781年)に創設したもので、後に、水戸・但馬と並んで天下三弘道館のひとつと称されました。松原小路1900坪の敷地に文武稽古場を建て、古賀精里(後の寛政の三博士の一人)を教授に朱子学を中心にした藩士教育を行い、人材の育成に努めました。
九代藩主鍋島斉直の時には、精里の子古賀穀堂が教授になり、「学制管見」を著し、十代藩主になる鍋島直正の侍講も勤めています。
十代鍋島直正は、天保10年(1839年)に北堀端の現在地(ここは東端)5400坪に整備拡張し、弘道館・蒙養舎に7局6寮のほか大講堂・武芸場・厨房などを備え、学館予算も大幅に増額し、大規模な学校になりました。
また、藩士の子弟に限らず教育することにし、翌年6月の新築開校にあたり、「文武を励み、国家(藩)の御用に立つ様心掛くべし」と訓示されました。学課は儒学・和学・漢学・兵学・筆道・習礼・算術・槍術・剣術・柔術・馬術・砲術・水練・蘭学(洋学を含む)、さらに様式操練も加え、厳しく文武に研鑽を積ませています。
安政2年(1855年)に始まる長崎海軍伝習には幕府の人数を上回る最多の48名を参加させ、海外の最新技術を学ばせています。明治新政府で活躍した副島種臣、大木喬任、大隈重信、佐野常民、江藤新平、島義勇などは皆弘道館の出身でした。弘道館を中心とした徹底した教育による優秀な人材の育成が、幕末の佐賀藩が全国に先駆けて近代化を成し遂げる原動力になったと考えられます。
この記念碑は大正12年(1923年)3月の建立で、題字は12代侯爵鍋島直映の揮毫、碑文は文学博士久米邦武の撰、中島正明の書になるものです。(現地案内板より)