与賀神社
与賀神社は欽明天皇の代の創建と伝わる古社です。国指定の重要文化財の楼門や石橋などがあります。
所在地:佐賀県佐賀市与賀町2-50
よかじんじゃで、「よか」と濁りません。佐賀や福岡などの方言で「よか」=「よい」という意味もあり縁起がいい名前の神社です。扁額には「與賀大明神」と記されていました。
欽明天皇25年(564年)に勅願造立されました。鎌倉時代は「与賀庄鎮守宮」で、建暦2年(1212年)に北条義時が社殿を再興しました。寛元3年(1245年)に、執権北条経時が勅により祭祀の礼式を定めたと伝えられています。
参道橋と楼門
御祭神:主祭神:与止日女神
配祀神:八幡神・住吉神・乙宮神・印鑰神・応神天皇・菅原道真公
境内神社:稲荷神社、恵比須神社、少弐神社、天満神社、佐太、粟島神社
狛犬阿形
楼門の手前、参道橋の袂に鎮座しています。狛犬の阿型は右前足の下に玉を持っています。口が長方形に開いています。歯が見えます。
狛犬吽形
楼門の手前、参道橋の袂に鎮座しています。狛犬の吽型は閉じた口からはと牙が見えています。
大楠と重要文化財のある千四百年の古社
與賀神社(よかじんじゃ)
御祭神:與止日女(よどひめ)神(豊玉姫命=神武天皇の御祖母)
豊玉姫は古事記に現れ、海神の娘で竜宮城の乙姫様です。
配祀神 六柱(八幡神、住吉神、応神天皇、菅原道真ほか)
御神徳:海の神、川の神、水の神として広く信仰され、安産育児・鎮護国家・交通安全・学問武道・殖産開運などに御神威あらたかです。(現地案内板より)
拝殿
≪由緒≫
西暦564年勅願造立、鎌倉・室町時代は与賀御庄鎮守宮。
小弐・高木・龍造寺・鍋島氏の時代は与賀郷の宗廟として崇敬厚く、特に、鍋島氏は佐賀城の鎮守、産土(うぶすな)神社として尊信され、数多く寄進されました。
現在の御社殿は江戸中期、鍋島六代藩主の造立。(現地案内板より)
拝殿
≪重要文化財・天然記念物≫
国指定・丹塗り楼門=室町時代後期に、太宰小弐政資公の建立とされ、県内で最も古い木造建築物の一つです。
国指定・三の鳥居および石橋=四百年余前に藩祖鍋島直茂公夫妻建立
国指定・太刀 一口=銘 康光、六百年前の作、與賀神社伝来の御神刀
市指定・與賀神社大明神縁起図=與賀神社御鎮座以来の縁起図(1678年)
県天然記念物:楠 一株=神殿の南側に位置し、推定樹齢千四百年余
祭日:例祭(おくんち)10/19、春祭(祈年祭)4/19、秋祭(新嘗祭)12/6、夏祭大祓 7/29 (現地案内板より)
扁額
扁額には「與賀大明神」と記されています。(これは平成**年*月撮影)
新しい扁額
扁額が新しくなっていました。(平成29年5月1日撮影)
拝殿・弊殿・本殿
・與賀神社社殿は御鎮座当初より社殿が構えられ、鎌倉時代には北条氏により社殿が整備されました。室町後期には少弐公により社殿が整備され、さらに藩祖鍋島直茂公により再建されました。
現在の社殿は、江戸中期鍋島家第5代藩主・宗教公、第6代藩主・重茂公によって約255年前に建立されたものです。
大正2年、神殿・弊殿の屋根を従来屋根銅瓦葺だったものを銅板平葺に、拝殿屋根を瓦葺から銅瓦葺に葺替え、さらに拝殿正面扉は上下蔀戸を開閉扉に改造しました。
本殿
本殿の彫刻
本殿の彫刻
饕餮と龍
饕餮(とうてつ)と龍と雲の彫刻が施されています。
屋根
境内
境内
神馬
石の馬も奉納されていました。石の馬は、下した前髪が揃っていました。檻の中に入っていました。
神馬
与賀神社の亀
手水舎の近くの台座の上に亀がいます。口の中にお金を咥えていました。目つきがちょっと怖いです。
亀
亀と手水舎
達磨
力石
歌碑
石燈籠
三の鳥居
三の鳥居は石造明神鳥居で、その形式、殊に笠木鼻の形に特有の様式が認められ、「肥前鳥居」の初期のものとして有名であす。柱に慶長八年(1603年)の銘があります。
鳥居
淡島神社
粟島神社御祭神:少彦名命
婦人の疾病守護の神として信仰されています。
佐太神社御祭神:佐太大神
熱病平癒の神として信仰されています。
例祭:4/3
御婦人の疾病守護・熱病平癒の神として信仰されています。
淡島・佐太神社
天満神社
御祭神:菅原道真公
学問の神様である菅原道真公を祀っています。石造の祠で天神像を納めています。祠には執行天神と刻印されています。