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大隈重信旧宅・内部

大隈重信の生家の内部を見学することができます。

大隈重信旧宅1

所在地:佐賀市水ヶ江2-11-11

大隈重信旧宅9

大隈重信旧宅見取図

大隈重信旧宅15

大隈重信旧宅1階

1階には、床の間付の座敷(客間)と次の間(座敷の控の間)、家族団欒の居間、脇の間(控の間)、納戸、板の間(今で言うダイニングキッチン)、竈が置かれている土間(炊事場)などがあります。

大隈重信旧宅11

クドがある炊事場

クドがある炊事場には、大隈侯の好物は「煮しめ」だと書かれていました。また、塩辛いものが好きだったとも云われているそうです。
大隈重信の母三井子は、非常に人を愛し、客を好み、大隈侯の友人が訪ねてくるのに喜んで、手料理をこしらえて御馳走したそうです。大隈重信の来客好きは、母のお蔭と云われています。

大隈重信旧宅12

土間

大隈重信旧宅13

縁側

大隈重信旧宅14

縁側と中庭

大隈重信旧宅2

大隈重信旧宅 2階

大隈重信旧宅3

2階

2階には、重信侯(幼名:八太郎)の勉強部屋と納戸があります。老侯の幼少時代、三井子母堂が建増した勉強部屋には、梁が一部出っ張っていて、八太郎少年が、勉強をしていてい眠くなった時、この梁に頭をぶつけて、目を覚まして、また勉強したと云われています。
勉強していて眠いからと眠っていたのでは賢くなれないのですね。眠気を覚まして、更に勉強する人が賢くなるのですね。
大隈重信の口癖は、口癖は「何々であるんである」。時には「何々であるんであるんである」だったそうです。

大隈重信旧宅4

頭をぶつけていた梁

勉強部屋には、梁が一部出っ張っていて、八太郎少年が、勉強をしていてい眠くなった時、この梁に頭をぶつけて、目を覚まして、また勉強したと云われています。

大隈重信旧宅5

老侯の幼少時代、三井子母堂が建増した勉強部屋

大隈重信旧宅6

頭を打ち付けていたところが擦り減っています。

大隈重信旧宅7

桃の釘隠し

大隈重信旧宅8

階段

大隈重信旧宅10

大隈重信旧宅16


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