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大隈重信旧宅

大隈重信生家で、今から200年程前の天明・寛政の頃建てられたものです。

大隈重信旧宅1

大隈重信旧宅(大隈重信生家)

所在地:佐賀県佐賀市水ヶ江2丁目11-11
県立病院東門下車徒歩3分
開館時間:9:00~17:00
休館日:年末年始・資料等整理期間
大隈重信の生家です。国の史跡に指定されています。

大隈重信旧宅2

天保9年(1838年)大隈重信侯が生誕したこの生家は天保以前の武家屋敷の面影を残した貴重なもので、国の史跡に指定されています。平屋茅葺に一部二階建ての瓦葺きの家屋は、八太郎の時代の家庭とその遺徳をしのぶことがてきる貴重な遺跡となっています。庭園には大隈を敬愛した政治家・波多野敬直の筆になる「大隈重信侯の誕生地」の記念碑が建っています。大隈重信は、世界的政治家として又早稲田大学の創設者として有名です。国家の基礎確率に尽くすとともにに、立憲改進党を組織しました。

大隈重信旧宅3

史跡 大隈重信旧宅

この建物は今から200年程前の天明・寛政の頃建てられた禄高300石取りの建物と云われている。最初は佐賀特有の凹型の屋根を持ったクド造りの建物で、藁葺、木造の平屋であった。大隈家は代々兵法家で、特に父信保(のぶやす)は、荻野流砲術家として名声があり、禄高300石の石火矢頭人(いしびやとうにん・砲術長)であった。幕末、長崎警備につき、砲台勤務で活躍した。
天保3年(1832年)信保はこの家を買い取り、同年2月16日、この家で重信が誕生した。重信が6歳のとき藩校弘道館に入学したが、母三井子の考えによって、勉強部屋が二階に増築され、このれが今の家の中央部に位置にしている。
大正10年(1921年)大隈重信生家保存会が設立されたとき、生家の管理人を居住させるため、東側のカマヤ部分を増改築して現在の姿になったものである。昭和40年、明治の元勲大隈重信侯の旧宅として、国の史跡として指定を受けた。(現地案内板より)

大隈重信旧宅4

大隈重信旧宅5

大隈重信旧宅6

大隈重信旧宅7

大隈重信旧宅8

大隈重信旧宅9

大隈重信旧宅10

大隈重信旧宅11

大隈重信侯之銅像

大隈重信侯之像(大礼服立像)
この像は、明治31年の第一次大隈内閣成立の際、当時の早稲田大学校友会が作成したものを大隈重信侯生誕150年を記念して複製したものです。
原型制作年月:明治836年(1903年)11月
原型製作者:小倉惣次郎
寸法:高さ188cm
複製製作年月日:昭和63年(1988年)4月
複製作者:立体写真像株式会社
建設者:大隈重信侯銅像建設期成会
(現地案内板より)

大隈重信旧宅12

大隈重信旧宅13

大隈重信旧宅14

大隈重信旧宅15

大隈重信旧宅16

大隈重信旧宅17

大隈重信旧宅19

大隈重信旧宅21

大隈重信記念館

開館:昭和42年10月
構造:鉄筋コンクリート造
建築面積:178平方メートル
延床面積:319平方メートル
設計者:今井兼次(早稲田大学名誉教授)
大隈重信侯の誕生125年を記念して、昭和42年10月に開館しました。大隈侯にまつわる歴史資料を数多く展示しています。
早稲田大学名誉教授今井兼次博士の手によるデザインで、大隈侯のどっしりして動かざる姿をイメージして建てられたそうです。コンクリート製で、重厚な雰囲気の建物です。

大隈重信旧宅20

大隈重信侯祈念館

この記念館は、大隈重信侯誕生125年を記念し、昭和42年に建設されたもので設計は早稲田大学教授今井兼次先生によるものである。
≪設計者のことば≫
中央に立つ一対の巨柱から四方に放射する構造架構体に、老侯が抱負とする東西文明調和の理念を託し、さらに、建築を人間化することによって人体の造形的変容、あるいは、巨岩や大樹の躯幹、樹根のごとき躍動感を求めた。なお、階段室の頂光窓からふりそそぐ色光には、老侯母堂の恩愛の慈光とも申すべきものを秘し、また、真紅の窓硝子に老侯の緋のガウンを回想せしめた。
  喬木は風雪に耐えて愈々高し  樹根は大地に張って愈々深し
  天下に憂いをいたして     想いかえして考えるのである
  高くとばんと欲すれば     深く学ばざるべからず
老侯のことばが記念館の表現にいささかでも生かされ、そこに対話が生まれてくれればと念じている。
設計者 早稲田大学教授 今井兼次 (現地案内板より)


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