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種福山 天徳寺

臨済宗南禅寺派の寺院です。

天徳寺1

臨済宗 南禅寺派 種福山 天徳寺
所在地:佐賀県佐賀市伊勢町6-32
天正2年(1574年)鍋島蛎久の天満宮より分祀して、北面天満宮が建立されたとき分置された寺院です。
境内にはシーボルトに学んだ蘭学者大庭雪斎の墓があります。
境内には、イボとり六地蔵(石塔)もあります。天正17年(1589年)造立で、イボとりの御利益があると云われています。

大庭雪斎の墓

天徳寺には、大庭雪斎(おおばせっさい)の墓があります。
大庭雪斎。名は景徳、あるいは文心ともいう。(1805年~1873年)18歳頃佐賀蘭学の始祖島本良順に医学、蘭学の手ほどきを受けた。
文政8年長崎で、シーボルトに就き、39際頃大阪で、緒方洪庵に就いた。佐賀に帰ってから、安政元年(1854年)弘道館の教導となった。同3年「訳和蘭文語」の前編、翌年後編を出版。両著とも口語文で記述し、西洋の進歩した科学を究明する学問が重要であると唱えた。
嘉永4年(1851年)蘭学寮が創設されると教導となった。医学寮が好生館と改称されたあとも、教導方頭取の要職にあった。また、長男景龍は、佐賀で初めてキリスト教会を設立したことでも知られている。(現地案内板より)

天徳寺2

純粋社塾跡

所在地:佐賀県佐賀市伊勢町
純粋社塾跡は、天徳寺の近くに純粋社塾跡の石碑がありました。
純粋社塾は、石井龍右衛門の私塾の跡です。幕末から明治初年に渡って開かれていました。純粋社塾は、長州の吉田松陰の松下村塾に匹敵するとも言われ、後に明治維新で活躍した、江藤新平、副島種臣、大隈重信、大木喬任など多くの人材を輩出しました。
また、石井龍右衛門は鍋島直茂の側近であり、戦国時代から桃山時代にかけて、「鍋島三生」と称された名臣のひとり、石井生礼の子孫です。龍よんさん(りゅうよんさん)と親しみを込めて呼ばれていました。

天徳寺3


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