龍造寺八幡宮
佐賀八幡宮、八幡神社、八幡様、お八幡さんとも呼ばれ、佐賀の人々に親しまれています。
龍造寺八幡宮(佐賀八幡宮)
所在地:佐賀県佐賀市白山1丁目3-2
龍造寺家の始祖南次郎季家公が建立した神社です。
通称:八幡神社・八幡様・お八幡さん
主神:応神天皇(第15代)
相殿の神:神功皇后(主神の御母)・玉依姫命・天兒屋根の命・住吉三神
春祭:4月15日・例祭:11月3日(文化の日)
文治3年(1187年)居城内に神殿を創建し鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮分霊を勧請して龍造寺家一門、武家の守護神佐賀の鎮護の神として歴代手厚く祭祀を営んでいます。
佐賀八幡宮と大きく書かれていたので少し悩みましたが、龍造寺八幡宮が正式名称で、佐賀八幡宮は通称のようです。
龍造寺八幡宮由緒沿革
当八幡宮は龍造寺家の始祖南次郎季家公が建立し龍造寺八幡宮と称した。
季家公は平家追討の功により源頼朝から佐賀地方の地頭職に任ぜられ、文治3年(1187年)居城内に神殿を創建し鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮分霊を勧請して龍造寺家一門、武家の守護神佐賀の鎮護の神として歴代手厚く祭祀を営んだ。降って慶長12年(1607年)鍋島初代藩主勝茂は佐嘉城築城に際し之を八幡小路に遷座し宏荘華麗な社殿を造営して寄進した。慶長9年には藩祖直茂の室 藤の方が肥前鳥居を奉納して聖上萬歳、国家安穏、一門の弥栄を祈念している。(現佐賀市指定重要文化財)
かくて歴代の領主は佐賀の開府の神、佐嘉城の鎮守として尊崇の念深く鍋島家の産土神として事ある毎に報告又は祈願を成し一般の参詣も許した。猶、社殿の営繕は元より、毎年の祭祀料一切は藩費を以て支弁された。廃藩置県後その制度はなくなり爾来氏子において一切を奉仕することになった。明治33年市区画整理により社殿を後方に引く、更に昭和3年境内に拡張に伴い現在地に引いた。境内には楠公父子を祀る我が国最古の楠神社がある。
龍造寺八幡宮略記 通称 佐賀八幡宮 (現地案内板より)
龍造寺八幡宮の肥前鳥居
神社の方の説明によると、笠木、木鼻、貫とも三本継の肥前鳥居特有の様式だそうです。肥前鳥居の特徴は、基本的に柱が三本継ぎとなっています。下部が太く、笠木と島木が一体となり、これも三本継ぎとなっています。笠木は太い柱に対して薄手で木鼻はゆるやかに反っているなどがあるそうです。肥前鳥居は、室町時代の末期から江戸時代初期にかけて多く造られたそうです。
龍造寺八幡宮石造肥前鳥居
種別:佐賀市重要文化財(建造物)
名称:龍造寺八幡宮石造肥前鳥居 一基
指定年月日 昭和47年2月11日
鳥居は慶長9年(1604年)佐賀藩藩祖鍋島直茂の北方藤女が奉献したもので、笠木の長さ4.80メートル高さ3.40メートルである。石柱の下部は生け込みとなっていて、笠木は太い柱に対して薄手で木鼻はゆるやかに反る特有の様式である。貫は三本継ぎで中央部分は後補により原形がいくらか改変されている点が惜しまれる。この鳥居は、造立年代の古いもののひとつで、また、笠木の曲線などに独得な華やかさを持っており、最も典型的なものの一例として価値が高い。(現地案内板より)
鳥居
龍造寺八幡宮
鳥居の扁額には、龍造寺八幡宮と記されています。
狛犬阿形
狛犬吽形
狛犬阿形
狛犬吽形
狛犬
拝殿
拝殿奥の扁額には佐賀八幡宮と記されています。
向拝の龍
向拝の龍
龍
龍
龍
本殿
※龍造寺八幡宮には下記の佐賀八幡宮由緒記もありましたので、併せて紹介します。
佐賀八幡宮
御祭神:主神 応神天皇(第15代)
相殿の神:天皃屋根命・住吉三神
春祭:4月15日・例祭:11月3日
文治3年(1187年)龍造寺季家が御神殿を創建し鎌倉の鶴ヶ岡八幡宮の御分霊を勧請して奉安し、龍造寺八幡宮と称して崇拝したのに始まる。降つて慶長9年(1604年)初代藩主鍋島勝茂は佐嘉城築城に際してこれを八幡小路に遷座し、現在の神殿並に拝殿を造営し常夜燈を寄進、藩祖直茂の室、藤の方は肥前鳥居(現佐賀市文化財)を寄進した。
爾後歴代の藩主は佐賀地方の開府の神、佐嘉城の鎮護、武士の守護神として尊崇し、事あるごとに祈願又は報告祭を執行した。明治維新廃藩置県となるに及んで藩費運営の制度はなくなり氏子(十八ヶ町)において一切を奉仕することになった。
【御神格】 清浄に愛のお徳をお持ちになり、文化神としてのお働きも多く、国民の等しく崇敬する神様である。(八幡宮は全国に二万五千社ほど鎮座されている)(現地案内板より)
横
太鼓橋と鳥居
石造太鼓橋
八幡神社の頑固宮司
雨にも負けず 風にも負けず 夏の暑さにも負けず 丈夫な体を持ち
毎朝6時から太鼓を叩き お務めし 酒は好でも記憶がなくなるまで飲んでみたいができず、駄洒落と書が大好きで 恥も色紙も沢山かいたけど 決してあせらず いつもニヤニヤ笑っている。そんな宮司に俺はなりたい。
龍造寺八幡宮(現地案内板より)