九州旅・九州各地の温泉・四季・町並・歴史

八坂神社

初代藩主鍋島勝茂公により、御城の鬼門除に、国家泰平を祈念され勧請されました。

八坂神社1

所在地:佐賀県佐賀市柳町1-6
旧古賀銀行の向かいにあります。
御祭神:素戔嗚尊(スサノヲノミコト)

八坂神社2

長崎街道に面して石造の鳥居があり、鳥居をくぐると左手に御神木の大楠があります。お社はあまり大きくありませんが歴史がある神社のようです。右手奥には、宝当鯛恵比須が石の祠の中に鎮座されています。大隈重信公も幼少の頃、この八坂神社の境内で遊んでいたそうです。

八坂神社3

八坂神社の御祭神の御由緒

京都八坂神社の創祀は、社伝では斉明天皇2年(656年)と伝えています。八坂神社は、ながらく「祇園社」と称しましたが、神仏分離に伴い「八坂神社」と改称されました。平安時代のはじめ、都に疫病が流行して、多くの人々が死に絶えました。この災厄の発生を政治的に失脚して処刑された人の怨みによる祟りであろうと、御霊を祀ったのですが、怒りは治まりません。そこで、素戔嗚尊のような偉大な神格の神に祈ったのです。
厄災除去の疫病として全国に厚い信仰があります。その御神威は、印度、中国、朝鮮半島におよび、あらゆる吉凶方位をつかさどる暦神として古くから登場しています。
日本神話で天照大神の弟神として知られる、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)は、八岐大蛇(ヤマタノオロチ=あらゆる災厄)を退治し、櫛稲田姫命(クシイナダヒメノミコト)を救い、地上に幸いをもたらした偉大な神様です。(現地案内板より)

八坂神社4

八坂神社の御由緒

佐賀郡川上實相院燭内「泰盛院様御代、御城為鬼門除、勧請遊被…」と寺社差出にあります。初代藩主鍋島勝茂(泰盛院様1580年~1657年)公により、御城の鬼門除に、国家泰平を祈念され勧請されております。また、成就院朝厳上人に宮司を仰せ付けられ、境内には(牛之島天満宮)(祇園社)(寺)がありました。
成就院橋(じょうじゅいんばし)
神社の南端に架かっている橋です。承応3年(1654年)の(佐賀城廻之絵図)をみると、この位置に橋が架かっています。昔はこの橋の北西に橋名となった「成就院」がありました。ここ蓮池町(現、柳町)のこの、神社を旧来の氏子は、「じょうじんさん」と、よびならしています。玉垣に沿うた路地(あやぁ)も同じ呼び名である。
維新前、荒神めくら坊の盲僧屋敷があって、一かどの修行場でしたが、衰滅、祭神の社と祠が神仏混淆の落し子となりました。(現地案内板より)

八坂神社5

狛犬阿形

八坂神社6

狛犬吽形

八坂神社7

狛犬阿形

八坂神社8

狛犬吽形

八坂神社9

八坂神社10

拝殿

八坂神社11

八坂神社12

本殿

八坂神社13

宝当鯛恵比須

所在地:佐賀県佐賀市柳町1番16号
八坂神社の境内の右奥の方にいらっしゃいます。宝暦4年正月と横面に記されていますので、今から約257年位前に造られたものかもしれません。歴史がある恵比須さんです。優しくて上品で穏やかで神様っぽい表情をされています。
佐賀県内には、1000体以上の恵比須さんが鎮座されているといわれていますが、その中でも神社の境内で石の祠の中に鎮座されている恵比須さんは、こちらの宝当鯛恵比須さんだけだそうです。

八坂神社14

宝当鯛恵比須

商売繁盛・宝当蓄財・大漁の神様
七福神の中で唯一日本生まれの神様で佐賀市内に1000体以上もあり、これは日本一の数です。恵比寿、恵比須、蛭子、夷、胡、戎とも書きます。県内で唯一、境内で石の祠(ほこら)に鎮座する偉大な鯛恵比寿様です。「宝暦4年戌年正月吉日 秀嶋氏」と横面に記されています。八坂神社 (現地案内板より)

八坂神社15

宝当えびす賽銭箱

八坂神社16

石仏

八坂神社17

八坂神社18

八坂神社19

八坂神社20

素戔嗚尊八岐大蛇退治之絵図

八坂神社21

佐賀の八賢伝


佐賀一覧

  佐賀  唐津  武雄・嬉野  有田・伊万里
  鳥栖・三養基郡   多久・神崎  えびす