佐嘉神社・カノン砲
佐嘉神社の大鳥居のすぐそばに展示されているカノン砲です。
所在地:佐賀県佐賀市松原2-10-43 佐嘉神社境内
カノン砲
嘉永3年(1850年)幕末に先がけ反射炉を完成。
嘉永4年(1851年)カノン砲、日本初の鉄製大砲。
佐賀藩鋳造鉄製150ポンド砲の台座には、佐賀藩の反射炉と錐鑽機工場 多布施公俵石大矢鋳立方 嘉永6年10月 1853年
佐賀県機械金属工業会連合会 昭和55年10月12日 1980年(碑文より)
日本近代科学技術のあけぼのをつげた草分の先覚者
御鋳立(太砲製造所)七賢人
主任:本島藤太夫(江川太郎左衛門に学んだ人)
翻訳:杉谷雍助(中堅人物・伊東玄朴の弟子)
参与:田中虎太郎(中堅人物)
鋳工師:谷口彌右衛門(10代目・第11代は明治16年谷口鉄工所創立・日蓮上人亀山皇銅像等を製作した)
溶鉄師:橋本新左衛門(8代目肥忠吉名刀)
数学者:馬場栄作(算術では佐賀一人者)
会計:田代孫三郎(予算編成)
精錬方(科学研究所)
主任:佐野常民(日本赤十字創立者・伊東玄朴の弟子)
化学:中村奇輔(京都出身指示電信機械製作)
蘭医:石黒寛次(田辺藩単語舞鶴で生まれた伊東玄朴と並ぶ蘭学者)
西洋機械:田中近江(久留米出身・東芝電気の創立者・からくり儀右衛門の息子)
西洋機械:田中儀右衛門(からくり儀右衛門)
西洋機械:福谷啓吉(川崎造船所の創立者)
西洋機械:秀島藤之助(アームストロング研究所で発狂)
(現地案内板より)
佐賀藩の反射炉と錐鑚機工場
合格祈願絵馬
佐嘉神社の大鳥居のすぐそばに展示しています。佐嘉神社の合格祈願大絵馬には、カノン砲と反射炉と佐嘉神社が描かれています。「幕末佐賀藩が生み出したカノン砲、この大砲で的を射るが如く志望校の合格を祈願下さい。」と書かれていました。
カノン砲
150听カノン砲
自重8TON、口径9寸、砲身11尺
安政6年(1859年)の瀑布献上用の150听は、当時我が国鋳砲史上最大の鉄製砲である。
1番砲は安政6年7月29日各炉に960貫、計3840貫(14.4t)の鋼鉄を挿入した反射炉が四炉の同時操業で、約7時間で溶解、鋳型への鋳造を終わり、鋳造準備には1ヵ月費やしている。
鋳造から1ヵ月後に2日間を費やして鋳型を分離、穿孔、仕上げの造機作業は80日を擁し、鋳型の準備、溶解、鋳造、造機の全作業に140日で150ポンド砲が完成している。当時のわが国科学技術の最高水神をうかがうことができる。(現地案内板より)
カノン砲模型
佐嘉神社の鳥居をくぐって、神門に入る手前に、150ポンドカノン砲のミニチュア複製などが展示されています。大変精巧にできていて、興味深いです。