佐賀の七賢人
佐賀の七賢人とは、幕末(江戸時代末期)から明治時代にかけて活躍した、佐賀藩出身の七人の偉人の総称です。
佐嘉神社
所在地:佐賀県佐賀市松原2-10-43
佐嘉神社の大鳥居をくぐってすぐの神門のそばにあります。佐賀の七賢人とは、幕末(江戸時代末期)から明治時代にかけて活躍した、佐賀藩出身の七人の偉人の総称です。佐賀の方は、佐賀の七賢人の偉業を讃え、今も尊敬し続けていらっしゃいます。郷土の偉人を誇りに思うことは、素晴らしいと思います。
佐賀の七賢人の碑
佐賀の七賢人の中でも、私は特に鍋島正直公が大好きです。鍋島正直公は、勉強熱心で、先見の明もあり、西洋の技術をいち早く取り入れ、佐賀藩の藩力を充実させ、幕末以後の佐賀藩の政治的発言権を強める基礎を作られた偉大な方です。平成の世にもこのような政治家や指導者がいらっしゃったら、どれだけありがたいことでしょうか。
佐賀の七賢人
幕末から明治維新に諸藩をリードし、日本近代化の黎明期に輝ける功績を残した7人は、佐賀の誇りです。
鍋島直正(閑叟)
1814年に佐賀藩九代藩主鍋島斉直の子として、江戸に生まれる。1830年に佐賀藩の第十代藩主となる。武雄領主鍋島茂義の影響を受け開明政策を採用し、1834年に佐賀城下に医学館を建てる。(この後好生館と名を変え、今の佐賀県立病院好生館の原型となっている。)1850年に今の佐賀市に反射炉を建てる。明治維新後は議定に就任し大納言の位を受ける。1869年に北海道開拓使長官となるが任地に赴くことなく1871年死去。
大隈重信
1838年、今の佐賀市水ケ江に生まれる。1870年、参議、1873年、参議兼大蔵卿になる。1882年3月、立憲改進党結成。同年10月、東京専門学校(現在の早稲田大学)を開校。1888年、外務大臣、1898年、内閣総理大臣(第1次大隈内閣)。1914年、二度目の内閣総理大臣(第2次大隈内閣)。1922年死去、国民葬。
佐野常民
1822年に今の佐賀市川副町に生まれる。1855年に日本初の蒸気機関車模型を完成させる。1867年にパリ万博にて赤十字について知る。1877年に大給恒らと博愛社を創設。1880年大蔵卿に就任。1887年に博愛社を日本赤十字社と改める。1902年死去。
副島種臣
1828年に今の佐賀市に生まれる。1869年に参議、1871年に外務卿、1892年に内務大臣に就任。1905年死去。現在の、佐賀新聞の題字は本人によるもの。
大木喬任
1832年今の佐賀市水ケ江に生まれる。1868年に東京府知事、1871年に初代文部卿、1873年に参議、司法卿、1880年に元老院議長に就任。1899年に死去。
江藤新平
1834年佐賀郡八戸村(今の佐賀市八戸町)に生まれる。1871年に廃藩置県を行う。1872年に司法卿、1873年には参議に就任。1874年佐賀の乱で敗れ、刑死。
島義勇
1822年に今の佐賀市に生まれる。1856年~1857年に北海道と樺太を探検・調査。1869年に北海道開拓使主席判官に就任し、札幌のまちづくりの指揮をとる。1871年に秋田県令(現在の秋田県知事)に就任。1874年に佐賀の乱で敗れ、刑死。