八幡竈門神社
神亀4年(727年)創建の神社で、御神亀(なで亀)や鬼が造ったと云われる石段があります。
所在地:大分県別府市大字内竈1900番地
主祭神:應神天皇・仲哀天皇・神功皇后
仁徳天皇の御宇、国常立尊、天照大御神を始め三十三神竈門庄亀山に奉斎
聖武天皇の御宇神亀4年(727年)3月15日豊前国宇佐より仲哀天皇、應神天皇の神霊宝城峰(御越山)に降臨す、次いで淳和天皇の御宇天長3年(826年)宇佐より神功皇后の神霊を迎え併せて三十六神合祀し八幡竈門宮と称し奉る。
(大宮司矢黒家八幡竈門宮傳記より)
大祭 4月1日 御神幸 4月3日 御還幸
例祭 4月15日
多賀神社
祭神 伊邪那岐命 伊邪那美命
安鎮、延命長寿の守護神
神社では次のような祈願を行っています。
結婚式、家内安全、交通安全、病気平癒、学業成就、商売繁盛、安産祈願、厄祓、初宮詣、車の清祓
(現地案内板より)
拝殿
扁額
大きな亀の剥製
手水舎
神亀水
御神亀
御神亀(なで亀)
この白亀の御神亀は、毎年恵方神の司る最も縁起の良い方角を向いています。(碑文より)
開運なで亀は、大分トリニータのマスコットの二―タンのモデルになった御神亀さんだよ。僕も元気や勇気が欲しいときは撫でるんだよ。みんなも撫でて力をいっぱいもらってね。(現地案内板より)
御神亀の由来
当社八幡竈門神社は神亀4年(727年)の創建であり、境内地も大字内竈字亀山と云う山の上に社殿が建って居ります。
又、亀川地域の名前の由来となる亀川白亀伝説には西国(現在の亀川)より白亀が見つかり朝廷に献上したところ大変喜ばれ天下の瑞祥吉兆であると朝廷は年号を嘉祥に改めたと伝えらえています。
亀川中央町(亀の甲広場)には伝説の白亀塚も現存しており、現在では当社春の祭の三基の神輿の御旅所となっております。
亀は幸運の兆しの象徴であり、皆様に御神亀を撫で拝み頂き開運、繁栄、健康長寿等様々な御祈願をして頂く事で御神亀は必ずや願い事を叶えて下さることと存じます。(現地案内板より)
狛犬阿形
狛犬吽形
神楽殿
大晦日から元日にかけて地元の「かまど神楽座」が神楽舞を奉納します。
八幡竈門神社御神木
樹齢500年のイチイガシ
機雷
機雷(機械水雷)は、海中に敷設され、艦船が接触する事により自動で爆発する水中兵器。日独戦争(第一次世界大戦・1914年~1918年)戦勝を記念し、亀川出身の旧海軍の有志により昭和3年(1928年)一対奉納された。全国的にも貴重なものである。(現地案内板より)
正徳元年(1711年)に建立された、石造台輪鳥居
階段に近い鳥居の額束
拝殿に近い鳥居の額束
石段と鳥居
県道218号線沿いの国立別府病院西側の坂道から境内まで、鬼が造ったと云われる長い石段が続いています。
鬼が造った百の石段
昔、亀川の竈門に悪鬼が住んでいた。夜毎現われては人々を喰い殺し又、里を荒らしまわっておった。里人は八幡様に鬼を退治して下さいとお願いした。
八幡様は鬼に、一晩の内に百の石段を造ったら毎年人間をいけにえにやろう、もし出来なければ今後里に出て来てはならぬと約束させました。鬼は承知して、あちらこちらの谷や川から石を運んで石段を造り始めました。九十九段まで造った時に神様がまだ出来ぬかとお聞きになられました。鬼はその言葉に一息つきあと一段と云った時に一番鶏が鳴いて夜があけてしまった。
鬼は驚いて逃げて行き、、二度と里に現れなくなったと。
石段をみると下の方はていねいに造っているが、上の方に行くとあらましに造っている。(現地案内板より)
境内から、別府市街地と別府湾を一望できます。
大鳥居