綾部家跡
綾部家の屋敷跡です。綾部健太郎氏が杵築市に寄付をされ、現在は市営駐車場になっています。
所在地:大分県杵築市
現在は市営駐車場になっています。南台武家屋敷や寺町の寺院などを見学する時に便利な駐車場です。
綾部道弘(1635年~1700年)は学問に優れ、杵築藩主に使えて豊後教学の祖といわれた。その子孫はみな学問に秀でた。道弘の長男安正(1676年~1750年)は学問と政務に名をあげ、三浦梅園は弟子にあたる。安正の長男妥胤(冨坂)(1719年~1782年)も学者として高名で、彼ら綾部教学の学者により杵築文教の基礎を築く。
安正の四男剛立(1734年~1799年)は藩主の侍医を務めたが、脱藩し、大阪へ出て姓を先祖の住地であった麻田と変えた。
「先事館」を開き、天文学・暦学の研究を極めた。伊能忠敬は孫弟子にあたる。この土地は子孫の運輸大臣や衆議院議長を歴任し、杵築市名誉市民である健太郎氏(1890年~1972年)から寄贈されたものです。(現地碑文より)
綾部健太郎先生像
綾部健太郎 明治23年(1890年)~昭和47年(1972年)
高松市の出身で、五高(現在の熊本大学)に綾部家に入籍しました。
銀行、鉄道会社等を経て、昭和7年(1932年)の総選挙以来、衆議院議員に4期連続当選しました。戦後公職追放されましたが、昭和33年(1958年)に国政に復帰し、運輸大臣、衆議院議長を歴任しました。
綾部健太郎は、杵築市の名誉市民であり、菊池寛とは高松中時代からの無二の親友だったそうです。